他人からの批判が怖い
相談させて頂きます。
私は自分のあり方について批判を受けることが多いです。
その批判が悪意だとわかっていても深く自己嫌悪して傷ついてしまいます。
また、ただ注意されただけでも、自分の存在ごと否定されたように感じてしまいます。ただ相手にとって自分の行いが悪かっただけだと後になって理解できるのですが、注意された時は、「自分だからこんなことを言われるのだ」「この人は私をいじめているのだ」「私はなめられている」などと感じてしまいます。
意地の悪い人に的外れな批判を受けることもありますが、そのような時や、不意に注意をうけたり、イライラされたりすると、恐怖心と敵対心で対抗してしまいます。
本当だったら注意されたなら謝罪と改善を行うのが良いでしょうし、悪意を向けてくる人からは逃げるなど相手にしないようにするのが良いでしょう。
それがなかなか出来ません。とっさに対抗してしまい気づいたときにはコテンパンです。
それに、これから改善出来ないこと、過去の失敗などを批判されると、なかなか辛いです。
自分にとっても不本意なことですし、批判されても言い訳ばかりしてしまって、また軽蔑される始末です。
最近になってほんの少し過去の失敗を受け入れられるようになり、批判されても受け入れられるようになりました。ですが、傷ついているところを刺激されるとしんどいです。
長々と書いてしまいましたが、他人からの評価が怖いです。
意地悪をされて「こんなことをされてしまう私って・・・」と自己嫌悪してしまうのも辛いです。
自分の過去の失敗など、自分のありのままを受け入れることも辛いです。
こんな私で困っています。
どうかご助言いただきたいです。
こちらには度々相談させて頂いております。
何度もお世話になってしまい申し訳ありません。
お答え頂いたお坊様がたにはいつも感謝しております。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
抗う意思はパワーの源
拝見いたしました。
推測ですが、お答えさせていただきます。
私たちは常日頃様々な言動をとっています。
ですが表に現れる行動だけにとらわれてはいけません。
なぜそのような行動をとってしまうのか、感情が湧いてしまうのか。
裏側にある想いを汲み取る必要があります。
私が思う、あなたの裏側にある想い。
それは『まだ自分という存在を諦めてはいない』ではないでしょうか。
自己嫌悪から相手の発言を悪いようにとってしまうことは説明がつきます。
ですがそれだけでは、無意識に反抗してしまうことに説明がつきません。
反抗する、ということは、自分にとって譲りたくない、守りたいものがあるからです。
それはきっと「あなた自身」です。
これも悪いことを言ってるように聞こえるかもしれませんね。
ですが、これは褒め言葉です。
あなたにとって、その考え方はパワーの源にできます。
自分を諦めたらとても楽になるんですよ。
どうせこんな私だもんな、と全てが受け流せます。
ですが、自分にとって一番大切なものは自分です。
これはエゴでもなんでもなく、生物学的に当然です。
その一番大切なものを諦めてしまっては、どんなものも諦めがついてしまいます。
あなたは自分というものを諦めていない。
それは大切なものを守ろうとする意志があるということ。
一番大切な自分すら守ろうと思えない人に、他人を守ることはできません。
大切なものを守る意志を周囲に向けられるようになるのは、まだ先かもしれません。
ですがあなたが批判を受け入れられるようになったように、いつかその日は来ます。
自分を含めて、大切なものが大切にできるようになる。
そう考えると、批判に抗う心も、批判をする相手も、いい経験だと思えるのではないでしょうか。
質問者からのお礼
石井祐晃 様
ご回答ありがとうございます。
私は「まだ自分を諦めていない」とのことですが、その通りだと思います。
それは「自分を大事にしたいから」なのですね。
ただの言い訳がましい人間になってしまわないように、自分を守りつつ周りの人も大事にしていけるようになりたいです。