未成年の罪の償い方について
私は未成年の時、交通事故を起こしました。ライトがなく初めて無灯運転で帰ってしまった日に、自転車で高齢の男性とぶつかり接触事故を起こしてしまったのです。男性の足からは血が出ており、すぐに消防と警察に電話しました。男性はかなり怒っており、私の顔と頭をボコボコに殴りました。くちびるとたんこぶが裂け、血が出て額には跡がくっきり残りました。
刑事事件に発展しました。しかし、私のしたことを考えれば殴られても仕方のないことだったと思います。毎日額の傷跡を見て、罪の意識に駆られます。私は未成年で親が賠償金も支払いました。私は罪を償っていないのです。考えれば考えるほど死んで償いたい気持ちになります。男性は怪我したのは足のみでしたが、いつ頭などに後遺症が出て亡くなってしまうか分かりません。私は死んで罪を償うべきなのでしょうか。死んでしまいたいです。どうすれば罪は償えるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お互いが深く傷ついています、簡単に答えを出さないで。
客観的に見た場合この男性は、やりすぎだと思います。例えば車の交通事故で当てられた方が降りてきてぶつけた車や人を破壊し傷つけても良いでしょうか?
確かに相談者様は、不注意で相手を傷つけてしまった。だからといってやり返し、顔に傷が残るほどボコボコになるまで酷い事をされて良いわけではない。この事件によって、あなたも深く傷ついていると思います。事故や災害というのは選べないという側面があります。不注意で事故を起こす場合もあれば、注意していても事故を起こすことがある。その場合、起こした方も起された方も深く傷つき悲しみます。まずあなた自身が傷ついているということに目を向けて下さい。
お釈迦様の言葉を紹介します。「無慙愧は名づけて人とせず。慙愧ある者を人と名づく」罪に対して痛みを感じ、罪を犯したことを恥じる心が慙愧です。慙愧がなければ、人と呼ぶことはできないと言われているのです。誰かを傷つけることは確かに問題です。また、傷つけまいと思っていても、傷つけてしまうこともあります。それが人間の真実です。しかし、そのことをどう受け止めているのか、これはもっと大きな問題です。あなたは、今罪を恥じ後悔していると思います、立派な人間だと思うのです。
お釈迦様だったら、今回の事件で片方が悪で一方が善人だなど言わないと思う。もっと深く・厳粛な人間の問題です。あなたは起してしまった事故で今人間の苦しみの現実に出遇われています。人間事故を起こしたり失敗したらダメかといったら、そうではなくて、罪を背負ってどう生きていくかが大事なのです。
簡単に楽になる方法はないのかもしれません。申し訳なかったという気持ちを持ち過ごしていく事しかできません。(手紙を書くなど自分でもう一度伝えることも考えてもいいかもしれませんね、ただ、今回の男性の場合加害者になってしまっているので、関わることに不安を覚えます…慎重に)それが伝わらなかったとしても、いつの日かあなたの中で罪への捉え方が少しずつ変わり、また一歩一歩前に進める日が来ると思います。焦らないで。同時に、あなた自身が心に非常に大きな傷を負っています。『あかずきんとオオカミのトラウマケア』等の様々なトラウマケアの本を読んでみることをお勧めします。心のセラピーの専門家にも相談してみて下さい。一人で抱えないことが大事です。蓮の葉は字数制限があるのでこの辺で失礼します。
大丈夫です!
ご質問拝読いたしました。
初心者で注意力不足の感は
否めませんが、
あくまでも過失です。
誤って怪我をおわせて
しまったのです。
逆に高齢者の方は、
事故については、
被害者ですが、
暴行については、
加害者です。
どちらがよいとか、
悪いとではなく、
両方に問題があるのです。
あなたばかりが、
責任を負うものでは、
ありません。
娑婆世界のルールで言えば、
高齢者の方は、
暴行傷害
あなたは、
業務上過失傷害です。
高齢者の方の方が、
遥かに責任は重いです。
因果応報で言えば、
誤って怪我をさせたが、
3倍になって暴力で、
返されたことになります。
心の中で、
ごめんなさい!
ごめんなさい!
ごめんなさい!
と3回お詫びして、
このことは忘れましょう。
前を向いてください。
あなたには、
輝ける未来がある。
前を向いて、
後ろは振り返らない。
ご活躍を祈っています。