生きていて欲しいと言えない
こんばんは。いつもありがとうございます。
母が先月、心の拠り所としていた友人を亡くしてから、不安定です。
この状況だから仕方ないですが、『もう半年後は生きてないかも』『死ぬときは死ぬ。そしたら会える』など言っています。
そもそも、母は昔から『私は60まで生きたらぽっくり死にたい』など常々言っていて、子どもながらに、この人は生きることが嫌なんだろうな、執着がないな、と思ってました。人生は修行であるので早く終わりにしたいのかなと見えます。
健康にも気を使わず、56にしてカップラーメンやお菓子ばかり。。こっちが『いつその日が来てしまうのだろう』とビクビクしています。
そんな長く生きることに執着がない母親が、『死ぬかも』なんて口にしてる今、私は、『生きててほしいんだよ』って、言えない気持ちがあります。
それはあくまでも、こっちのもっと一緒にいたいという気持ち、エゴだからです。いつも健康運動に気を使い、多趣味で行動的な人物なら、多少の浮き沈みでも励ませますが、
無趣味で、仕事以外全てその人と過ごしていた母親。娘の私の悪口や、世の中の不満を聞いてくれるのもその人だったでしょう。
人のはどうせいつか死ぬ、だから励ましたって、しかたない。どこかで自分も諦めモードになっていて、この想いが母親に伝わるわけがないと思って、もっと一緒にいたいとは、その時に言えませんでした。
こんな、無趣味で私生活も放棄しそうな
母親に対して、なにもうまく言葉にできず、しかも『言ったってしかたない。。死は私が決めるもんじゃない』と思ってる自分がもどかしく、腹立たしいです。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
許すという勇気も時に必要です。
初めまして、今日は。
私たちは、誰かを必要としてそして・・誰かも同じくあなたを必要として、過去でもない、未来でもない、二度とないこの瞬間を生きているのです。ひとり一人が、生きる意味があり課題を与えられているのです。私たちのこの身体は幾度となく困難の嵐を乗り越え生き抜いてきたご先祖様や先人方の、生き抜いた証でもあり父母の願いや想いがさらに重なって、奇跡という時を経て今があるのです。多くの命と繋がっているのです。
お母様も、様々な出来事を乗り越え・・あなたの託された命を懸命に守り、あなたは覚えていないでしょう・・・あなたが産まれることを楽しみに、日々を過ごしそして生まれた日の出来事を決して忘れずに、愛しく愛して育ててくれたからこの瞬間を過ごす事が出来ているのです。あなたの知らない所で、心が張り裂けそうな辛い出来事もあったと思います。大切な人を失った事を経験しなければわからない出来事があります。私もその経験をした一人です。順風満帆で当たり前と勘違いしていた日々が崩れ、絶望のどん底に突き落とされて言い表せない深い霧の中に閉じ込められ、懸命に出口を求めていたことがあります。それだけ・・・大切な人を失うと人生も変えてしまう程のとても深い出来事なのです。
お母様は必死に、必死に生きて来たのです。頑張るという言葉を一切口に出さず、ほどほどと言う言葉を掛けて上げ、大切なお母さまにご恩返しをして見ませんか?
想いに共感をして、つぶやく言葉に頷いて、そうだったんだね辛かったんだね・・と頷いて心と寄り添う事が必要な事だと思います。共感してくれる事は、私がそうだったようにとても安心出来るのです。理解してくれていると言う安心感が持てるのです。そして、無言の介護という言葉があるように同じ空間で語らずただ、一緒に過ごす事も時に必要です。育ててくれて生んでくれた事・・あなたが居るのはお母さまが居るからです。許す勇気も必要です。運命も人生も自分自身もいくらでも変えられます。結果を急がず、急がせずに、しかめっ面でなく笑顔で。愚痴や不平不満よりもありがとうと言う言葉を増やして、この瞬間を大切に過ごして下さい。ご縁があってこの家族で生まれて過ごして来たのです。労り支え協力して笑顔で過ごされることをお祈り致しております。あなたらしく人生と言う冒険旅行を仕合せに歩めますように。
合掌
質問者からのお礼
お言葉をありがとうございます。
そうです、仰るとおり、受け止めるもなにも、母親とはウマが合わず、それで私の言葉を聞いてくれないだろうと思っていました。
まずは、分かち合ってくれることに感謝し、また母親として使命を全うしてくれたことに感謝していこうと思います。ありがとうございました。