旦那の友達を好きなのかどうなのか...
ここ4週間ほど、毎週末、旦那の親友が家に泊まりにきます。
旦那の親友には4人で遊びに行く彼女もいます。
旦那だけお酒を飲んで隣の部屋で毎回早く寝ます。
1週末目の日中、テレビを見ながら、友達はソファに寝て、私はソファを背もたれにしてました。友達は寝ながら私の頭や首を優しく撫でてきました。寝ぼけてると思い、私は動じませんでした。
2週目の夜、同じ状況で、友達は起きてる状況で、頭を撫でられ、肩もみをしてくれました。私も仕返しました。くすぐったり遊んでるうちに性行為のような状況になりました。
3週目の夜、また同じ状況で、ついにはキスや性行為をしてしまいました。
状況的には、本当に最低な行為です。理解はしていますが、頭から離れません。友達もその事について、一切話しはしてきません。
旦那の親友だし、その親友の彼女とも友達です。
全員のことを知っている友達に相談しましたが、その友達は、彼はそんなリスクを負うような性格には思えないそうで、気持ちがあるからしたと思う、と言います。
でも結果(結婚、彼女いる状況)が分かってるから、何も言わずにいると思うと言われました。
私が今後なりたいのは、旦那に対して、愛を取り戻したい。
旦那の親友に対しての今の気持ちを払拭したい。
ただ、今まで通り、みんなで仲良く遊びたい。
というのが、理想です。
それとは裏腹に、彼が何を考えているかを知りたい、彼に好かれたい、彼の近くにいたいという感情がつきまといます。。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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そう都合よくはいかない
ご相談拝読しました。
なかなか大変な事になってしまいましたね。超えてはいけない壁を超えてしまった以上、その責任は自分についてきます。その責任とはどうにもならない感情と折り合いをつけないといけないということです。
ご主人のお友達を好きかどうかとのことですが、それはあからさまに好きでしょう。気になるんですもの。
でもそれはご主人のことよりもお友達が好きとか、ご主人への好意は偽物でお友達への好意が本物だったとかそういうことではありません。
愛とか恋とか好意とか言いますが、仏教的に言えばそれは執着です。愛欲や渇愛と言ってもいいでしょう。
それは自分にとって都合の良いものを近づけ、逆に都合の悪いものを遠ざけたいという欲です。都合の良いものの刺激は強いです。あなたはその刺激に踊らされてしまったわけです。
ご主人とも出会った頃はそのような刺激があったことでしょう。でもご存知の通り刺激には慣れるもの。結婚とはそういう執着・愛欲・渇愛を超えて共に歩んでいきたいという覚悟を決めるものだと思います。
一度強烈な刺激に触れてしまったものがそう簡単に「今の気持ちを払拭したい。ただ、今まで通り、みんなで仲良く遊びたい。」というわけにはいきません。
してしまったことはなかったことにはならないのです。自分の理想のために都合の悪い感情は捨て、都合の良い感情だけ残すということはできないのです。感情は起こすものでなく、起きるもの。
火傷するような刺激に手を出してしまったからには、これからもしばらくは今のあなたにとって都合の悪い感情、つまりはお友達への思いが業火のごとくふりかかってくるでしょう。
あなたはそれをあなたの責任として引き受けて、「それでも私はご主人との関係をこそ大切にするのだ」と態度を決定して歩み続ける中で、ようやくあとから感情がついてくるのではないでしょうか。
接触機会が多いと刺激に振り回されやすくなるのは仕方のない事です。何かいい理由をみつけてしばらく会わないのが賢明だとは思いますが、そうにもいかないならばこのまま歯を食いしばって耐えるしかありません。
目先の都合の良い刺激が安らぎある幸せをもたらすものではないことがよくわかったと思います。
刺激と罪悪感は今のあなたの課題です。他の誰も代わってくれません。さあ覚悟をきめて真正面から向き合っていきましょう。