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自己憐憫とは・・・?

回答数回答 1
有り難し有り難し 17

自己憐憫とは自分をかわいそうに思うことですが、誰しもツライことが続くとなんで私が?とか私なんて・・など卑屈な感情を持つことがあるかと思います。このような感情は持っていけない又は持ってもロクなことがないということはわかりますが、こういう自己憐憫にような気持ち持った場合どのようにその感情を捨てて自分と向き合えばいいのでしょうか?

また、誰かに頼る(頼りすぎはよくないけど)、弱音を見せる、話を聞いてもらうということはいけないことでしょうか?
それとも、自分で抱え込んで一人で解決したり、耐え忍ぶということが、
”自己憐憫による人に依存していない”ということなんでしょうか?

悩み、苦しみがある場合、誰にも言わない方がいいのか?誰かに頼っていいのかということがわからなくなってきました。

自分ひとりで解決できればいいでしょうけど、ときには人に頼りたくもなり、弱音を吐く姿は人間らしいとも思えるのですが・・・


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人間だから

えりりさんはじめまして
自己憐憫とはまた難しい言葉ですね^^
でもね、人はみんな生き物ですから、その時その瞬間で気持ちは常に変化するものです。
特に感情は、状況に応じて自分でもどうにもできないくらいに色々な感情がわき上がってきます。でもそれは人間だから仕方が無いと私は思います。

どの感情も、自分の内から湧き上がってきたものですから、どれもあなたの一部、それを否定してしまうのはどうなんでしょう。
卑屈な感情は切り捨てなければならない?本当にそうなんでしょうか?
手足を切って捨てられないように、感情だって切って捨てることなんてできないと思うのですがいかがでしょう?

私は感情を切り捨てて強く生きるよりも、そんな自分を赦して優しく生きて欲しいなと思います。
卑屈でも良いじゃないですか、だれだってそんな瞬間はありますよ。
大切なのは「そこに留まらない」ということ。
自己憐憫な感情が沸き起こっても、ほかの嫌な感情が芽生えても、無理にそれを否定せずに、そんな自分を赦してあげましょう。
そこにこだわらず放置しておけば、やがてそんな感情は消え去って行きますよ。

それと、後半の質問ですが、私は他人に相談できない人の方が弱い人間だと思います。
自分の弱い心・情けない姿を晒す事ができる人は、弱音を吐きながらも強く生きることができる人だと思います。
他人を頼り、相談できるからこそ、より強くなれるのではないかな。

えりりさんはお互いに弱音を吐ける友人はいませんか?
自分の弱さをさらけ出せない人は、いつまでも弱いままですよ。
もう少し柔軟に考える練習をなさってはいかが?

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様々なつらい別れや痛みを、私も経験しながら今日を生きています。 あなたの苦しさや痛みを共に分かち合い、少しでも和らげることができれば幸いです。
自分自身も重度の知的障害児を育てながら家事と仕事で忙しくしています。 外に出ていることも多いので、なかなか時間がとれないかもしれませんが、なるべく時間が許す限りお話を聞きます。

質問者からのお礼

丁寧なお返事ありがとうございました。
とても嬉しいです。

自己憐憫になってしまう自分や、人に頼ってしまう自分・・・

素の自分を出して弱音を吐くことに、自己嫌悪になっていました。

このままでは、自分はずっとダメな人間なのではないか?

そんなふうに、自分自身に問いかけ続けるうちに追い詰められて

いたのかもしれません。

一番こころに残った言葉は、

「手足を切って捨てられないように、感情だって切って捨てることなんてできないと思うのですがいかがでしょう?」

です。

たしかに・・・そんなことできたら悩んでない。苦しんでないんですよね。

みんなそれができないから、ツライんだなぁって思いました。

感情と理性を切り離して、考えようとしても、頭で理解しながらも心という感情は追いつかないんです。

今回、お返事を頂いて、こんな自分でもいいんだ。

って言ってもらえたように感じ救われました。

ありがとうございました。

ありがたいお言葉感謝致します。

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