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なぜ死んではいけないのか。勉強の意味

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高校三年生の男子です。
この2ヶ月学校は休みで課題が出ていますが全く勉強していません。出来ていない状態です。

これから受験、大学での勉強、仕事、人間関係…辛いことしか待ち受けてないのに
なぜ生き続けないといけないのか、辛い事しかないのなら死んでしまった方がマシだと考えてしまいます。

なぜ死んではいけないのかと言う思いが頭の中にあります。

でも死ぬのは怖いし、親が死なないでと言うから死ねない。
(今のところ実際に死ぬ事はないでしょう)

なぜ親は、頼んでもいないのに僕を産んだのか。産んでくれなかったらこんなに辛い思いはしなくて済んだのに…と親の事も嫌いになっています。

時々ですが、学校の課題に取り組まないと…と思い宿題に取り組もうとするのですが、
何故生きていかなくてはいけないのか。目標も見つからない。勉強する意味がわからない…と思い始めると全く勉強が手につきません。

課題を全くできてないことに焦る思いが出る時もありでもこのまま
落ちこぼれたら引きこもりになるしかないという思いで板挟みになってしまいそんな思いから逃げる事だけをして1日過ごしています。

(大半が大学に進学している高校に通っています。可能なら大学に進学したいという思いが前はありました。)

生きていく意味…勉強することの意味
を教えてください。

僕はどう考えを変えていけば良いでしょうか
よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

辛いですね。お釈迦様は、人生は一切苦だといいました。

人間なんで生きているのか、なんのために生きるのか分かりません。だから人生は残酷なんですね。お釈迦様は、人生は苦だと言いました。苦というのは感覚的に苦しいという意味ではなく、思い通りにならないという事です。仏教の根本思想に一切皆苦というものがあります。仏教もじゃあ苦しいのになぜ生きるのかという所から始まっています。

生きていく意味は、各自が見つけていかなくてはいけない事だと思います。誰かの答えで満足してはいけないし、出来ないと思う。さらに、誰がが示すたった一個の生きる意味というのは危険です。

少し文章を読んで気になったのは「受験、大学での勉強、仕事、人間関係…辛いことしか待ち受けてない」という所です。これらは、人生のほんの一部ではないでしょうか。(とても大きな問題であるとは承知しています)
ごまかしのように感じるかもしれないけど、私達はそもそも、生きるとは何か十分に考えたことがあるでしょうか?生きる意味を問う前に、その前提になっている「生きること」を知っているのでしょうか?本当に私たちは生きる事とか人生を知っているのでしょうか?ほんの一部を見て人生としてしまっていないでしょうか。生きるとは何か知るために今生きている。酸いも甘いも味わってからこの人生を決めてもいいんじゃないでしょうか?君はまじめだからこそ、良い人生悪い人生意味のある人生ない人生って決めようとしていると思います。でも決めなくていいと思うんです。
ただ、味わってみる。ただ生きてみるっていう人生でもいいんじゃないかなと思うのです。

勉強は大事なんだけど、学校が提示するのは勉強のほんの一部です。本当は勉強っていうのはさっき言ったように人生を知る、人生を味わうってことだと思うんです。確かに、学校の勉強をしておくと、今の社会ではより選択肢が広がるし実際役に立つことが多い。だけど本当の勉強はそこに収まらない。今君は学校の勉強以上に大事な問いの前に立っている、大したものです。学校の勉強に意味を見いだせなかったら、それはそこそこにして、君が少しでも今意味を見出せる事を学んだり、その探求に時間を使ってもいい。必要になれば、何年後にでも大学でもどこでも行ってみたらいいと思うのです。色々な人に会いに行ったり話をきいたりしてみて。
〔おすすめの本〕14歳からの哲学、14歳の君へ、老師と少年 結論を出す前に読んで欲しいです。

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浄土真宗本願寺派の僧侶です。 産業カウンセラーの資格を持っています。...
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死にたくないから生きている

基本的には、死にたくないから生きているだけであり、絶対的な生きる意味などないのです。
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「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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