母と会いたいです。中々立ち直れません。
先月母が癌で亡くなりました。
私は学生で一人暮らしのため、両親とは離れ離れで過ごしていました。
母の病気については夏の帰省でおおまかに知らされており、「頑張って治すから勉強頑張ってね」と言われその言葉を信じてました。でも年末年始や2月の帰省と日が経つにつれ、母の状態が悪くなってるのは多少私も気付いていました。でも母は私の前では一切キツそうな姿は見せず、いつも笑顔で振る舞っていました。
そして3月下旬に父から「長くないかもしれないから帰ってきて欲しい」と言われすぐ地元に帰ると母は入院しており、いままでの姿とは変わり、とても辛そうでした。
それでも治ることを母も私達家族も信じていました。そして数日が経ち、いつも通り面会時間ギリギリまで一緒にいて「また明日ねーっ!」と笑顔で大きな声でハイタッチしてくれました。しかし、その数時間後に母は息を引き取りました。
母は、いつも私と姉のことを心配してくれて、私達のことをとても大切にしてくれました。そのため末っ子でまだまだ未熟である私には病気のことをあまりくわしく話さず、心配かけまいと母はしてくれていたと後日聞きました。医師から聞いた母の病も
自分が想像してた以上でした。それらを聞いて以降私はとても後悔して毎日涙が止まりません。ごめんねやありがとうも言えず、何にもしてあげれなかったし、ひとり暮らしで迷惑ばかりをかけて、ましてや母が病気と闘っているのに自分勝手になってしまい母の気持ちを傷つけたときもありました。
可能なら過去に時間が戻って、ずっと母と過ごしたいです。
泣いてばかりでたくさんの迷惑をかけたので母に合わせる顔が無いかもしれませんが、また会って笑顔でお話したいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母さんの子であった、お母さんの子である
こんにちは、初めまして。
お悲しみでしょう。
お悔やみ申し上げます。
あなたのお母様への切々たる思慕が伝わってきます。
お母様もあなたに深い愛情を注がれていたことが、お話の中から伺えます。
読み人知らずですが、次のような言葉があります。
人は出会いによって育てられ
人生は別れによって深められる
あなたは、文字通り心身ともにお母様に育まれてきたのでしょう。
その事実は、年月を経るとともに実感されていくと思います。
あなたは成人して、人の親になるかもしれません。
その時、親の視点を得たならば、お母さんの心境を知ることも出来るでしょう。ああ、こんな風に私のことを見ていてくれたんだ、と。
また、別れによってお母様の存在の大きさ、過ごした年月の貴重さを思うことでしょう。今はただ、過去を懐かしみつつ、その思い出を一つ一つ温めてじっくりと噛み締めて下さい。
「ありがとうも言えず、何にもしてあげれなかった」「迷惑ばかりをかけて」「母の気持ちを傷つけた」という思いがある、とのこと。
あなたが感謝せず、迷惑をかけ、傷つけたとしても、お母さんの中であなたは可愛い我が子だったでしょう。あなたを気遣い、あなたを心配させまいと最期の最期までお母さんだったのだと思います。
お母さんの子であった、お母さんの子である。
その事実を大切に胸に抱いていって下さい。
お母さまのために頑張る!
ご質問拝読いたしました。
読んでいて愚僧も涙ぐんで
しまいました。
この母ありてこの子あり。
あなたこそ、
お母さまの誇りです。
お母さまの自慢の子なんです。
お母さまもあなたの将来を
見届けることなく、
寿命を終えて
極楽浄土に還られました。
向こうが故郷で、
こちら娑婆世界は、
魂の修行の場所です。
お母さまのことを
あなたが想う時、
お母さまはあなたのら傍にいます。
あなたが気付いていないだけです。
想う時、スーとこちかり、
いらっしゃるんです。
気持ちが優しくて、
とてもいい子なんですけどね、
心配性で困ります。
気合いをいれてくださいな。
お母さまの声が聞こえます。
お母さまのことが、
本当に好きで、
親孝行したいなら、
お母さまがして欲しいことを、
するこてです。
御供養とは
おもてなし です。
相手が望むことをする。
日々お母さん有難う!
と天に向かって感謝する。
涙を拭いて
毎日精一杯生き抜く。
楽しく、
明るく、
元気よく生きる姿こそ、
お母さまが望むことです。
そうしいたら、
必ず必ずお母さまに、
遭えますから。
ご多幸をお祈りします。
お母様を灯火として一緒に歩む道
たかのつめさま
はじめまして、高山一正と申します。
明日は母の日ですね。母に感謝しましょうと各家庭が賑わいをみせます。
私の話で恐縮ですが24才の時に父が往生しました。その年の父の日は街の賑わいを傍らに虚しく過ごした記憶があります。
さて、たかのつめさまは「母の日」の起源をご存知でしょうか。母の日は、アンナ・ジャービスという女性が私を育ててくれた大切な亡き母に白いカーネーションを捧げたことに起源があります。父の日も同様に亡き父に感謝を捧げる日が起源でありました。それぞれがむしろ私たちのためにある日だったようです。これを知って私は過ごし方が変わりましたのでお伝えしておきます。
ですから明日は、西に向かって手を合わせてみてはいかがでしょうか。西は日の沈むその先に西方浄土を思うが故の方角です。そして一言でも、それ以上でも、今の思いを口に出したり、手紙を書いたりしてもいいかもしれません。うちのお寺には母の日のお墓詣りで先立ち往生なされたお母様と改めて繋がりを確認する大切な時間を過ごされている方もいます。
母に会いたい、なかなか立ち直れません。後悔して毎日涙が流れる。今は今の抱え方で精いっぱい。無理に感情や思考を制限してもひずみが生じてしまいましょう。
落ち着いたと思っても誕生日が近づけば、正月を迎えたら、ご命日が近づいたら気持ちが揺れますし、思い出の場所を歩いても、懐かしい風景がテレビに映っても心が揺れるのが自然でしょう。立ち直るではなく、お母様との繋がりをこれからも大事に抱え続けていくのが大事です。心や体や関係性が変化していく中で、ご自身の抱え方も変わっていきます。その都度、今の状態をうなずいていくのです。
そのうえで、最後にひとこと。
お母様を灯火とさせていただくのが肝要ではないかと私は考えます。
例えば「お母さんに伝えたかったごめんね、ありがとうを大事にするね」と親の恩に報いる生活ならば、これからだってできます。「ありがとう、おかげさまで」と報恩感謝の生活を送ってくれる姿をお母様がどうご覧になるでしょうね。もちろん報恩感謝の生活ばかりとはいきませんので「ごめんね、なかなかうまくいかんのよ」と愚痴をこぼしてもいいのです。一緒に歩むその道の傍らにはお母様が笑顔で伴走し続けてくださるのだと思います。これからもいつまでもお育ていただくばかりです。
南無阿弥陀仏。
質問者からのお礼
ありがとうございます
これから頑張ります