死んだらどうなるのだろうか
私はうつ病を患っています。
今まで私は物事に対して終わりがあるから頑張るのかなと思っていました。結果があるから、目標というゴールのようなものがあるからこそ、人は生きていくんだと思っていました。
しかし、死について考えるとどんどん苦しくなります。人には色んな考え方があって死後の世界がないという人もいれば、あるという人もいます。私はどちらでもないというか、どちらを思っても自由だと思っています。
ただ、わからないものに対してすごく恐怖心を抱いてしまいます。もしかするとこうなるかもしれないと考えると苦しいです。死んだ後ももしずっと続くなら、おわりがないのかと考えるとすごく怖いです。みなさんはどのようにお考えですか?答えがあるものだとは思っていませんが、考えをお聞きしたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
生きること 死ぬこと
こんにちは、初めまして。
様々な思いが去来することでしょう。
まずは、どうぞお体大事になさって下さい。
「目標というゴールのようなものがあるからこそ、人は生きていくんだ」とおもっていたとのこと。後の文章と併せて考えると、人生の結末として死がある。人間は、その死に向かって生きていることになる。そこに、生きるということの訳の分からなさを感じていることが第一にある、と感じました。
あなたは、映画を観ますか。
私は、とても好きで良く観るのですが、観た後に様々な人のレビューを楽しみにして見ています。ああ、こんな見方もあるのかと感心する一方で、このような回答がしばしばあります。「私は、観始めた当初から結末が見えていた。その通りになったのでつまらなかった」と言う感想です。私は、あまりそういう観点で見ていなかったので、鋭い人も居るものだと、当初は思っていました。
しかし、それは段々と違和感に変わりました。
結末が分かっているから面白くないのか。
いや、そうじゃない。結末に至るまでの、人間の汗、涙、血にこそ本当の面白さがあると思うようになりました。現に、いい映画は何度でも観たくなるものです。
死は、100%決まっている人間のゴールです。
しかし、その過程が面白いと私は思います。
さらに、その死は極楽での命の始まりと私は思っています。
つまり、死ではなく、往生、生まれ往くのだと。
生きるということ、死ぬということに、客観的にな誰もが首肯する「答えがあるもの」はこの世にありません。
あなたが、何をよりどころとして、どう見ていくかが、あなたの生きることを、死ぬことを意味あるものに変えていくのです。
ご参考に
死後の世界はあった方が良い
あなたは死の不安を病気のこともあり、特に強くお感じなのですね。あるかないかわからないから、特に不安をかんじるのですね。私の仏教の信仰では西方極楽浄土(阿弥陀様という仏様が作られた一般で言う天国)を説き、そこに往生すること(往き生まれること)を人生の最大の目標にし、日々の生活を高めていく(念仏する)という教えですので、それを実践していく中で、自ずと死後の世界(西方極楽浄土)はあると思っています。死はゴールではなく通過点と考えています。そこがシームレスになれば、死の恐怖は低減され(なくなるわけではないです。)、生きやすくなるのとだと考えています。私の好きな元祖法然上人の言葉を紹介しましょう。
「生けらば念仏の功つもり、死なば浄土に参りなん。とてもかくてもこの身にはおもいわずろうことぞなき。」
です。「生きていれば、念仏の利益があり、死ねば浄土に行けます。とにもかくにも我身には思い悩むことがありません。」ぐらいの意味でしょうか?あなたの言うように人の死後の世界に対する考えは様々です。科学的に言えば、人の意識が死後も存在するなんてことは考えられないじゃないですか。肉体の成分だけが、地球に返って、他のものになるのだと思いますが、それじゃあまりに悲しいし、辛いじゃないですか。無神論者を否定しているわけではないですが、人の気持ちによりそえば、死後の世界はあった方が良いと私は思います。
質問者からのお礼
周りには相談できず、初めて相談させていただきました。ご意見ありがとうございます。自分はもしかしたらこうではないか?と不安に考えているとそれが実際に起こってることを強くイメージしてしまいます。
ただ、ご相談して思ったことは自分はまだこの人生を生きたいのだなと思いました。
答えが出る問いではないですが、今生きている自分の人生を諦めたくないって思いました。また不安になることもあるかもしれません。また質問することもあるかもしれません。その際はよろしくお願いいたします。