亡くなった子どもについて教えてください
私は去年の夏に初めて妊娠した双子の赤ちゃんを5ヶ月で死産しました。
悲しくて悲しくてどうしようもなかったのですが、2ヶ月後に仕事復帰してからは仕事で気を紛らわしていました。
そこから半年ほどして、再度妊娠しました。
双子ではなかったけど、どちらか1人が帰ってきてくれたととても嬉しかったです。
しかし、その子も6ヶ月で緊急帝王切開、超早産となり生後数日で亡くなってしまいました。
答えのない質問であるのは分かってますが、なんで私の子どもだけがこんな目に遭うのか、
周りは元気な赤ちゃんを産んで当たり前のように幸せに暮らしてる中でなんでこんなことになるのか分からなくなってしまい、ここで何か掴めたらと思い質問しました。
会えるなら会いたいし、早くあの子たちのところに行きたいと言う気持ちがあります。
でもそんなことしても子どもたちのところに行けないと自分に言い聞かせてなんとか生きている状態です。
どうして二回もこんなことになったのか、
亡くなった子どもはどこに行くのか、
自分が死んだらその子たちのところに行けるのか、
もしまた妊娠するとして亡くなった子どもがまた宿ることはあるのか、教えていただきたいです。
質問多くなってしまいましたがよろしくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
赤ちゃんは願ってあなたのところに来てくれたのです
ご質問有難うございます。
拝読させていただきました。
お辛かったですね・・
まずは3人のお子さんのご冥福をお祈りいたします。
私は男性ですので、本当の女性のお気持ちはわかりにくいところではございますが、僧侶の立場としてお伝えさせていただきます。
「死んだらおしまい」とは、よく世間一般では耳にしますが、たしかにお釈迦さまは亡くなったら、転生するといわれております。
ただ、必ずしも次に宿ってくれる命がその子だとは言い切れません。
残酷で、悲しいことですが、法華経というお経には「願生」という言葉が出てきます。
それは、ちみたさんの赤ちゃんも「願って生まれてきた」のです。
短い時間ではあったのですが、一生懸命生きたのだと思います。
これは想像でしか過ぎないのですが、お母さんである「生んでくれてありがとう」と、ちみたさんに感謝していると思います。
周りを見てみると、元気な赤ちゃんを抱いて、当たり前のように生きている方を見ると後ろめたい気持ちになりますよね。
その当たり前が本当は「有難い」のです。
まずは、心と身体を休め、落ち着いたらのよいので、亡くなってしまった赤ちゃんを供養してあげてみられてはいかがでしょうか?
ちみたさんのところに、願って生まれた赤ちゃんも、きっと喜んでくれると思いますよ。
死ななくてもあなたのそばにいるんです。
目には見えないですが、心で感じてください。
あと妊娠のことは、先ほどお伝えさせていただいたように、必ずしも同じ赤ちゃんが宿るとは限りません。
焦ってしまう気持ちもあると思いますが、焦らずゆっくりとタイミングをみてください。
ちみたさんが前向きになれますようお祈りしております。
再び遇う世界
切なるお気持ちをお聞かせいただきました。
本当にお辛かったですね。そして今もなお苦しいですね…その思いはお察しするに余りあるものです。謹んでお悔やみ申し上げるとともに、再び共に遇う世界を願わずにはおれません。
さて、私たちのこの身、この命というのは誰にも代わりのものであるとお経に説かれます。つまり、もしまた新たな命を授かったとしても、それは前の赤ちゃんを取り返したり、あるいは前の赤ちゃんの命終がなかったことになるようなものではないということです。
私たちの気持ちとしては余りにも辛く悲しいことですが、あなたの赤ちゃんは皆それぞれのいのちを全うしていかれたのではないでしょうか。
それでも「なぜ?どうして?」というのが私たちの本音です。それは医学的に説明できるものや、現在の医学ではわからないこともあるかもしれません。それが仏教的に私たちに納得のできるように説明ができるかというとそういうものではないのだと思います。
私たちにできることは、私の思いを超えて現にそうなったという事実を受け止めることなのかもしれません。わからないものをわからないままに受け止めるということが生きる中では求められるのではないでしょうか。
さて、私たちが命を終えたあと、会いたいに人に再会できるかどうかですが、これは命終えた後でなく、今できます。そしてその今の再会において、死後の再会も確信できるのです。
その再会の形は生前同様の姿形を持ったものどうしではありません。そして会いたい時に思うがごとく会えるものでもありません。
しかし思いを超えてはからずも遇う…それは私をして真実に目覚めさせてくれる存在としての出遇い。赤ちゃんがあなたにかける願いとの出遇い。そういう出遇いなのでしょう。
どんな小さな川も大きな川も早い川も遅い川もきれいな川も汚い川も、海に入れば塩の一味になるように、生きとし生けるものが還る世界、本来生まれるべき世界というものが、その出遇いから感得され、また自分もそこに還ることが確信されるのではないでしょうか。
自分の思いとしてはそうした世界を疑ったり、背いたりする私たちですが、亡き命の存在や、亡き命が遇わせてくれる仏法が、私をしてその世界への歩みを促し続けるのでしょう。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
辛くて苦しい毎日を過ごし、早く我が子のところに行きたいと願って過ごしていましたが、子どもは自分の人生を全うしたということ、願って生まれてきてくれたということを知り救われました。
怒りにも似た気持ちの中で過ごしていましたが、スッと気持ちが楽になりました。
3人のお母さんとして恥じないように今は懸命に生きようと思います。
ありがとうございました。