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子は母のなんですか?

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有り難し有り難し 8

私の母は、宗教に入ってます。
とても熱心な信者です。

私は宗教に熱心な母を良く思いませんでした。
なぜかというと、
学校で頑張った事、良い事を母に報告すると、
必ず
‘‘宗教のお陰だね。’’
や、
‘‘○○様(その宗教の創始者)に感謝しなくちゃね。’’
と言われ、私自身の頑張りや、感情が流されていたからです。
また、母の頑張りさえも母からいわせると宗教のお陰なのです。
以来、私はその宗教に拒否反応を示すようになり、学生時代(※特に小中学校時代)はよく母と宗教の事で喧嘩していました。

一時期は母を軽蔑してました。

が、私も大人になり働き出してから、少しずつ母と会話をするうちに気付いてきました。

母は炊事洗濯料理…家事全般が苦手だったこと、私達(※三姉妹です)を育てている時は、特に情緒不安定で、朝起きる度に死にたいと思ってた事、うつになりかけるくらい悩み、苦しんでた事…
驚きでした。母はお母さんの前に"一人の人間"だという事を思い知りました。

同時に何故、母はあんなにも宗教に熱心だったのか…宗教は母が"お母さん"である為の支えだったという事がはっきり分かりました。

こうゆうのを因果っていうんですかね、

私が嫌っていた宗教に母が熱心だったのは、
私達の為に"立派な母親"であろうとしてくれていた為でした。

私はなんにも母の事を分かってませんでした。
それから、少しずつ母に歩みよれるようになってきました。宗教に関しても理解しています。

同時に、母にとって宗教はあまりにも大切過ぎる存在だという事も思い知らされました。

母から宗教をとってしまえば、多分母は崩れてしまいます。
それ程、母の心には宗教が根付いています。
当たり前です。私が頑張っている母を軽蔑していた時にいつも支えてくれていたのはその宗教だったのですから。
比べるのもおこがましいくらいです。

今さら、後悔しても遅いですが、
私は、母の心の支えにはなれません。
私が死んでも母は悲しんでくれると思いますが、宗教が助けてくれると思います。
しかし、宗教がなくなったとき、
私は、母の心を支える事は出来ないと思います。

私は母が大好きです、心から尊敬しています。
母が私達を愛してくれている事も分かります。
ただ、自分を納得させるためにも、
違う解釈の仕方があるなならば、教えて頂きたいです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

宗教は人生を幸せにするためのヒント

宗教に対する嫌悪感や反発心というのは、それを信仰していないひとにとっては至極当然のものです。宗教というのは心の隙間を埋めたり、気持ちを穏やかに保つ潤滑油のような側面もありますから、お母さんにとっては辛い時期を乗り越えるために不可欠なものだったのでしょう。
相談者様がおっしゃるとおり、あくまでお母さんが宗教に助けを求めたのは、子供であるあなたたちと、お母さん自身の為に他なりません。宗教というのは、人生を幸せにするためのヒントです。僕たち出家した宗教者でもない限り、宗教そのものが目的ではありません。

お母さんが宗教に頼ったのは、最終的にはあなたたちを幸せにするためです。
あなたたちを育てなくてはいけない、けれど心がついていかない、そこで宗教に頼る....
そして一番辛い時期を乗り越え、反発していた相談者さまの理解も得て、感謝も尊敬もされるに至った....
憎しみは苦しみですが、感謝は幸せです。お母さんは、自分のために宗教を信じていたと思っていますが、結果として子供たちの幸せに繋がったんです。

しかし、宗教自体がお母さんの幸せではありません。その先にある家族の幸せこそが、お母さんの幸せです。
「私が死んでも、宗教が救ってくれる
宗教がなくなったら、私は母を支えられない」
なんてことはありません。宗教とは、あくまで幸せになるためのツールなんですから。

起こるかわからないことを気に病んでもしかたありません。お母さんから頂いた幸せをできるだけお返しして、宗教といい距離感を保って、幸せな生活を送ってください。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

宗教自体が母の幸せではなく、
家族の幸せが母の幸せ…
そうですよね。
考え過ぎずに、前向きに、母親と向き合って暮らして行きたいとおもいます。
ありがとうございます。

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