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何度も申し訳ありません…

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何度も質問して申し訳ありません…

過去の質問でも書かせて頂いたのですが、今年の3月に母が亡くなり、先日に四十九日法要も済みました。

四十九日以前は悲しみや寂しさといった気分の落ち込みと付き合いながらもまだ何とか生活が送れていましたが、以降は感情のコントロールが利かなくなりました。

長く過ごしていただけに家の中には思い出が詰まっており、辛いので外に出たりしてみましたが、ほとんどが一緒に出掛けたことのある場所ばかりで面影ばかりを追い求めて変わらず、どうすればいいのか行き詰まってきました…

『一緒に住んでいて気付くのが遅い』
『もう少し早く気付いていれば結果は違っていた』

たらればとわかってはいながらも言われたその言葉が忘れよう・考えないようにしようとしても脳裏から離れません。

実際は嫌な予感がしていましたが、『大きな病気だったらどうしよう』と口にしていた母を不安にさせたくなかったのと、信じたくないと思っていた自分が招いた判断ミスだけに余計にです。

『どんなに痛く苦しかっただろうか』
『入院してからどんな気持ちだったのか』

そんなことばかりや生前の元気な頃から苦しんでいた姿など色々なことが脳裏を過り、年甲斐もなく涙が溢れ出て止まりません。

更に心療内科で処方して頂いた薬が合わなかったようで服用してから記憶が錯乱して取り乱し、母を探そうとしたりするようです。(自分では記憶がなく、覚えていないです)

強くなれ・気持ちを切り替えられるようになれと言われていますが、思うようにはならず苦しいです…

次の日の朝が来るのが怖く、夜眠る時、このまま迎えが来て目覚めなければいいのに…と考えるようにもなりました。

そんなことを母は望んでいないと思いますが、出来るのならこのまま母のもとに行きたいと思っています。

何か自分でも書いていて訳がわからなくなってきました、すみません…


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心揺れながら母照らす温かな道を歩む

ひら松様、はじめまして、ともに考えさせていただきます。
家には思い出が詰まってますし、360度どこを見ても呼び起こされる記憶があろうことかと思います。外に出てもそうですよね。テレビを見ててもこれ好きだったな。食事をしていても、これ一緒に食べたななど。

時間の経過とともに落ち着くかというとどうもそう単純には私たちはできていないようです。母の日もそうだったように、お母様やご自身の誕生日も、ご命日も、お盆も正月も。ひとたび思い出されるものがあれば、感情はコントロールしきれません。心は揺れるものと思った方が自然でありましょう。

そして、大切な方の喪失との付き合い方は十人十色です。ひら松様の抱え方、お父様の抱え方、他のどなたかの抱え方、どれがよくてどれがだめではない。「クヨクヨしないぞ!」と歯を食いしばることをよしとする人がいてもいいですが、それを他に求めるのは違いますよね。泣いてもいいし、泣けなくてもいい。手を合わせてもいいし、辛かったら別のことに没頭するのもいい。やらなきゃと動くときがあってもいいし、やる気がでないときもあってもいいのです。

今、たらればの思いが止まらないのは、それだけ大事に思っている証拠。今までも大事であった存在をこれからも大事に抱えていく、ただそれだけ。これからも大事にお母様とのご縁を抱え続ければよろしいのだと私は思います。

立ち直るではない、苦しみながらも大事に抱える。
乗り越えるではない、悩みながら大事に抱える。
苦しさ、悲しさ、感謝などの濃淡は日々変わります。抱え方が変わっていくことにうなずく日々かと。

浄土真宗本願寺派の教義から申せばお母さまはこれからも道を照らしてくれます。変わりゆく日々の中で変わらぬ温かな慈悲の心で伴走してくださいます。寂しさは尽きずとも温かな心に照らされた日々をうなずきながら歩まれますことを願っています。

追伸(2個前の質問にもこちらで答えますね。)
母の日は、アンナ・ジャービスという女性が私を育ててくれた大切な亡き母に白いカーネーションを捧げたことに起源があります。父の日も同様に亡き父に感謝を捧げる日が起源でありました。私も24の時に先代が往生し、起源を知るまで父の日に苦しみを感じていましたが、それぞれがむしろ私たちのためにある日だったようです。これを知って私は過ごし方が変わりましたのでお伝えしておきます。

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有り難し
おきもち

都内の浄土真宗本願寺派の小さなお寺で住職をしております、いっしょうと申しま...
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質問者からのお礼

高山一正様

お忙しい中、当方の愚問に対し、ご回答頂き、本当にありがとうございます。
とても素晴らしいご回答を拝見させて頂き、すごく心に響きました。

『家には思い出が詰まってますし、360度どこを見ても呼び起こされる記憶があろうことかと思います。外に出てもそうですよね。テレビを見ててもこれ好きだったな。食事をしていても、これ一緒に食べたななど。』

『大切な方の喪失との付き合い方は十人十色』

などまさに今、自分の心の中にあることをそのまま言って頂いた上、ご理解頂けたことが何よりも嬉しく、ありがたい限りでございます。

おっしゃられた通り、時間が解決してくれるとよく言われますが、事が事なだけに本当にそう単純にはいきませんよね。
当分は悲しみや寂しさと共存しながら過ごしていくことになりそうです。

『立ち直るではない、苦しみながらも大事に抱える。
乗り越えるではない、悩みながら大事に抱える。』

こちらもとても深いお言葉だと胸に強く感じました。

自分にとって母は大事な存在でありましたが、そのことは姿や形がなくなってしまった今後も変わることはありません。
母とめぐり逢えた縁を大事に抱え続けながら今後の人生も歩んで生きていきたいと思います。

また、過去のご質問にもご回答頂き、ありがとうございます。

『母』という言葉に過敏となっており、母の日が辛く感じておりましたが、今後は感謝を捧げながら迎えるようにしたいと思います。
とても貴重なご意見を頂き、参考になりました。
言葉では表せないぐらい感謝の気持ちでいっぱいであります。
本当にありがとうございました。

「親・家族・恋人・大切な人の死が悲しい・乗り越え・立ち直る」問答一覧

生活環境の変化と母の死が重なり苦しいです

転職・引っ越しによる環境変化と母の死が重なり心身ともに辛いです。 先日、母が癌で亡くなりました。1年前から入退院を繰り返しており、余命が短いことは覚悟していましたが、やはり悲しいです。母が病気の苦しみから解放されたのは救いですが、この先母がいないと思うと人生がつまらなく感じます。まだまだ母とやりたいことがたくさんありました。 母の死は時間が癒してくれるのを待つしかないのですが、ちょうど転職と引っ越しをした直後に母が亡くなったため、新しい仕事を頑張れる気がしません。一人暮らしでホームシックにもなっています。まだ結婚もしておらず、一人っ子でもあるので孤独感が大きいです。 新しい仕事は私が目指していたことで、母も生前応援してくれましたが、母が亡くなった今となっては前向きになれません。これから新しい仕事のためにたくさん勉強しなければならないのに、無気力で頑張れる気がしないです。 母の癌が発覚した1年前から精神的にしんどく、診療内科に通うほど体調も崩しました。そのような状況下で頑張って転職し、これからというときに訪れた母との別れは新生活の不安と二重の苦しみで耐えられる気がしません。これからどうやって日常生活を送り、前向きに人生と向き合えばよいでしょうか。

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故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

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父親亡くなる

父93歳母90歳姉64歳私57歳で、姉は実家からバスで30分の所に住んでおり、私は埼玉県に住んでいます。母は専業主婦で家事全般をやっていた人です。父母共に病気をして入院した時は、どちらかが実家に帰って寝泊まりをしていました。母が心臓の手術を10年前にしてから、家事全般を最小限しかできず、それでも父母と2人で頑張っていましたが、2年前に母が転倒して頭を打ったのですが、頭の中も異常なく、骨折もしておらず、ただ筋力が落ちて、やる気も出なくなり、父が母に変わって家事全般を最小限やってくれる事になり、父は、家事をやった事がないので、味噌汁の作り方を一から母が教えていました、しかし父の作る物にしょっぱいだの、と父と姉に話していたそうです。父も指示されているみたいでイヤだとは姉に話していたそうです。母か転倒して、動けなくなった頃から、愚痴がおおくなり、姉は、母は要支援2の認定を頂いていたので、訪問ドクター訪問看護ディサービスを利用し、少しでも愚痴の数を減らしていこうとした時に、父が脳梗塞でたおれ、悪性リンパ種も見つかり、入院して1ヶ月で亡くなりました。愚痴をこぼす所もなくなり、母は、私や姉が手続きや、お墓仏壇等をやっていると、私達に攻撃しはじたのです。ただそれが午前中に始まり夕方には、穏やかになり、母の今後の事もあり、ケアマネに来てもらい話をすると、老人うつ病をかられると言われ、私達も確信ではないが、そうではないかと思うと伝えました。前から少しずつあったものが、今になって大きく出てきたのではないかとも言われました。姉は知識がないので、精神的な事が書かれている本を前から読んでいますし、私も資格はないですが、施設で長く働いているので、少しは知識があります。ただ姉が言うには、父が生前の時母は、とても穏やかな人で先々を考える人だったと話し、母が転倒して何もできなくなってから、人が変わったようだと言うのです。うつ病があるかもしれない事を少し頭に入れて対応していこうと姉と話していたのですが、姉もわかっているが、ウンウンとは聞けずついいってしまう、母はエスカレートしてしまう、なので第三者に入ってもらって、近くにおばがいるので、母の話しを聞いてもらうなどして、対応していますが、これからどんな事に気をつけたらいいのか、対応はどうしたらいいのか、母自身も、自覚がないので困っています

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夫の死 心が平穏になる時がきますか

夫が病気で急逝しました。夫はさぞ悔しいことでしょう。まだ現実として受け入れがたく、ふわふわとした心持ちで葬式、様々な手続きに生活に追われています。 子供たちと現実生活をいつも通りにふざけたことも言い合いながら笑顔で暮らしていますが、寂しく悲しい気持ちは各々が抱えています。 夫が亡くなって、葬式後に不倫関係にある人がいることが分かりました。相手からの、のんきなLINEがきたことで気づきました。再会した元カノのようで、レストランで食事したりホテルで密会したりしていることがやり取りから分かりました。これからもっとたくさん会いたいなど、関係を続けたい夫の気持ちも書いていました。あの時もあの時も嘘をついて家を出ていたのだと知りました。LINEを探すと、他の女性とも恋心をほのめかしたやり取りをしていたことも分かりました。 夫は多趣味で、趣味に仕事に忙しく、女の人と会う時間があるとは思いもしませんでした。私を悲しませることはしない人だと信じて疑ったことは1度もありませんでした。 夫は子育てに協力的でした。家の中のことは大体私がやっていましたが、対外的なことは率先してやってくれていました。共働きで、協力し合わないことには生活が回らなかったので、助かってました。私は子育て家事に喜びを感じながらも、夫の行動に苛立ちを感じていたことは確かです。夫は趣味の時間を家庭の様々なことに取られていると不満をいうことがありました。趣味をしている時の夫は本当に楽しそうなのでさせてあけたいと考えていたし、実際、ずっと続けていました。 こんなに趣味を楽しんだ上に、家事に疲れている私に、したいときだけすり寄ってくる夫を疎ましく思う気持ちもありました。 私は夫が好きでした。夫の物を片付けていたら、私からの数年おきの長い手紙や「大好きだよ」のカードがたくさん出てきました。先月もあげたはかりでした。 他の女の人には優しい言葉をたくさん書いていましたが、私にはありませんでした。私を子供の母としか見ていなかったのでしょうか。 数年前に、他の人としちゃおーなどと言うことが何度かあり、私はあきれて、どーぞ。と、言ってしまいました。夫は自分の欲を実行したのですね。 1人になると動悸がして落ち込みがひどいです。子供たちの明るい未来のためにも、元気で生きていきたいのです。どう考えれば心の整理がつくのでしょう。

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