後悔しています
初めて相談させて頂きます。
小学生の時私の不注意で自転車に乗っていた相手の方を転倒させてしまいました。
その時は頭が真っ白になり、謝ることしかできませんでした。
相手の方は許してくださり、そのまま帰ってしまわれたのですが、
その後親や警察に連絡すべきだった、相手の方に連絡先を聞くべきだった、
罪の重さを理解出来ていなかった、と後悔しています。
もっと周りを見ていればこんなことにはならなかったと反省しました。
そしてこれは許されないことだと思っています。
この他にも自分が過去にやってしまったこと、人を傷つけてしまったことを思うと
こんな自分が生きていることに嫌悪感を感じてしまい、
自分をいつまで責めても何も変わらないのに責め続けてしまいます。
私はこの罪をどのように償っていけばいいでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他者を大事にできる人になっていくこと。それが出来る事です。
人間はどんな人でも失敗をしてしまいます。もし一度失敗した人は生きる価値がないかといったらそんなことは無いと分かると思います。
人は、失敗したり人を傷つけることもある。また、傷つけまいと思っていても傷つけてしまう事もあります。いつも清潔で・誠実でいれる人なんていません。あなたが小学生の時にしたこともそれは仕方ない、条件が整えば人間どんなこともしてしまいます。わざとしたことではないのだし、頭が真っ白になるのも当たり前です。過去のあなたと今の自分を分けて考えて下さい。あなたは確実に変わり成長しています。
大事なのは、失敗した後謝ったり恥ずかしいなと思う心を持つことです。お釈迦様は昔アングリマーラという人を弟子にしたことがある。彼は99人の人を殺してしまったそうです。でも彼はその事に苦しんでいた。お釈迦様と出会い、本当は人を傷つけることをしたく無いと言って泣きました。お釈迦様は今から変われるんだ、共に修行していこうと言いました。アングリマーラは泣いて大地にひれ伏し懺悔し、立派な僧侶になったそうです。この話が示す通り、仏教ではいつでもやり直せるし、失敗でその人の価値が決まらないと説きます。何度でもやり直せる。
仏教には忍辱(恥や苦しい事に耐え忍ぶこと)という言葉がある。これは方向性が大事です。あなたは一度も失敗を許さないという方向に努力してしまっている。それは苦しいです。人間は人に迷惑をかけないと生きていけません。迷惑をかけてないつもりの人も色々な人に、自然や他の命にお世話になっています。それを忘れているだけ。自分も失敗することがある。他の人の失敗や迷惑をかけられることを許せる人になって欲しい。そういう事を仏様から願われているのです。他者を許す方向・頑張れていることに感謝できる人に成る方向に努力していって下さい。
あなたは真面目だから少しの不誠実さや失敗が許されないと思っているかもしれないけど、誰でも誠実な面もあれば不誠実な面もある。成功することもあれば失敗することもある。極端にならない事。いつもの自分とのずれやブレを許すこと。ずれやブレがあるから人は正常に生きていけるのです。人にはいくつもの顔がある、それで正常なのです。大丈夫、焦らないでいいです。ごめんなさいの気持ちは大事です。これから出会う人に優しくし、他者を許せる人に成っていきましょう。自分も許してあげて良い。
拝読させて頂きました。
私たちは人に傷つけられることもありますし、人を傷つけてしまうこともあります。
それはたまたまそのような状況になってしまうこともありますし、避けられないこともあるものです。
ですから普段からの心がけが大切ですよね。
普段から事故をおこさないように気をつけて人のことも大切にすること、もしもそのようなことをおこしてしまったとしても誠実に対応すること自分も相手も思いやる気持ちを持って落ち着いて考えて行動することを心がけていきましょうね。
私たちはこの世界でこの社会でこの地域で一緒になって生きていますからね。