死にたいです。
精神的に不安定な私を一生懸命助けてくれていたのに、『家族は他人だ。』『信用できない』『建前でやっているのなら助けは必要ない』と言ってしまいした。翌日酷いことを言ってしまったと思い朝母が仕事行く前に謝罪をしましたが、深く考える必要はないから大丈夫だと言われました。その時の母の顔はとてもいつもの母の顔ではありませんでした。自分のことばかり考え過ぎていて、相手を思いやることができず、逆に追い込んでいました。それに気がついた私は取り返しかつかないことをしてしまったと痛感し、生きているのが辛いです。いっそ死んで楽になりたいとも考えています。母と私に取ってどのようにすれば良い方向に進めるでしょうか?
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愛する側になりませんか
こんにちは、初めまして。
初めてのご質問で、あなたがご家族と日頃どのようなやり取りをしているかは、限られた文面で分からない部分があります。多分に私の推測になりますが、ご了解下さい。
あなたは、素直に謝罪しておられますね。
自分の非を認める。
簡単そうで意外と難しいものです。
ただ、あなたは「母の顔はとてもいつもの母の顔ではありませんでした」と気付かれたようです。つまり一度ならず、お母さんを責めたり傷つけられたのでしょう。
子供の時とても大きく見えたものが、大人になるととても小さく感じることがあります。
ある人の文章にこんなことが書いてありました。
親父と喧嘩した。
今度は俺が勝った。
親父が小さく見えた。
俺は泣いた。
子供は親のことをとても大きく強ものだと思い込んで頼りにし、また愛されることを欲します。しかし成長して自分と同じ一個の人間に過ぎないことに気がつくと愕然とするものです。
子供なればこそ頼りにする気持ちもありましょう
でも今度は頼られる番になりませんか
愛されることを求めるでしょう
今度は愛する側に立ちませんか
その姿をこそ
成長して自立した我が子の姿をこそ
お母さんは見たいはずです
生きること
それは始まったばかりです
質問者からのお礼
お話を聞いて下さりありがとうございます。今度は、私が人を愛していく番ですね。それができるように。日々がんばって行きます。