自分だけ粗末に扱われる
会社とかで、人事異動があった時に、普通の人なら、その職場の最後の日に
一言挨拶をしてもらうのに、それが無かったり、また、逆に新しい職場に行った時に
普通なら、皆様の前で挨拶するのに、省略されたりがほとんどです。
何で自分だけ粗末に扱われるのでしょうか?悔しいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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必要とされているから会社に居続けられておられる
50歳代で役付きでない、ということですからご自身よりお若い方々が上司である、ということでもあるのでしょう。それは組織のなかではお辛いことのようにも思います。
しかし、働けないとか、必要とされていないとか、根本的に不要な人なのでしたら、とうに解雇されているはずです。世の中にはすごく有能でも会社を追われる人もおいでになりますし、公務員さんだと性犯罪でも犯さないかぎり解雇されることはありませんから、一概にはいえませんが必要とされているから会社が残しておいでなのだといえます。
したがいまして他人の目から見るとということですが、たぶんあなたはあなたが思っておられるほどには無視されていないと思うんです。本当に不要な人にはもっともっと風当たりがきついはずで、凄まじいイジメに遭われてとっくに会社をおやめになっているはずです。そうじゃないということなら、堂々と自分の仕事をなさり、その仕事をキチンをなさっていればよいと思うんです。世の中には出世したばかりにかえって会社を追われる人もいます。どちらがいいかというと、長く勤められた方がよいのではないでしょうか。
私自身の経験を申しますと、歴史関係の学芸員をしていたとき、たいへんなパワハラに遭いました。仕事を与えられなくてずっと何もすることがなく人格を否定される言葉を浴びせられ続けてきました。これについては何度もhasunohaの回答のなかで申しています。酷いものでした。
しかし、契約期間中、そこに顔を出していれば、それこそ女性の胸でも触らない限り、報酬はもらえるわけです。そのとき、「割り切る」ということを学んだような気がします。仕事というのは、勤務時間を売るということで、その間は自分のための時間ではなく、他者に時間を売って居るんだから、感情は捨てればよい。それでお金が得られるなら、そのお金で自分が好きなように自分の時間を楽しめばよい。私は寺の住職という本来の仕事があるので、そんなふうに考えられたのかもしれません。
繰り返し申しますが、必要だから会社があなたにいてもらっているのであり、あなたは自分の仕事を責任をもってなさっていたら、それ以外のことを気にしなくてもよい、私はそう思います。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございました。お坊様のご回答を励みにこれから頑張って行きます。本当にありがとうございました。