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死ぬ時期を決めて生きる父

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初めまして。
私の父は61歳です。
                   

現在一人暮らしの父は、どうやら自分で死ぬ時期を決めているようなのです(数年以内のようです。)。
                   
理由は二つ。
一つめは、介護状態になったとき、子どもに迷惑をかけたくないから。
二つめは、生きる期限を決めた方が、金銭面で苦労することなく、楽しく生きることができるから。
というものです。
                   
「そういうわけだから、俺の心配をするな。ある日突然いなくなるから。迷惑はかけない。」と言います。
                   
父の言い分は理解できないものでもありません。長生きすることが幸せだとは限らないと、私もよく考えるからです。私だって死にたくなるときはあります。
                   
ただ、それを子どもである私に伝える意味が分からないのです。
                   
父の決意が本気だとしたら、私は父の言葉をどう受け入れればよいのでしょうか。
                   
自分で死ぬ時期を決めるということに対して、反対すべきなのか、そのつもりで心構えをすべきなのか。
                   
自分の親に「自死宣言」をされ、心穏やかにはいられませんし、正直憤りさえ感じます。
                   
今まで散々心の虐待を受けた挙げ句、自死宣言。いつまで私の心を傷つけるんだろう?とも思ってしまいます。
                   
まとまりのない文になってしまいましたが、回答をいただけるとありがたいです。よろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一定の距離を取って「反対」すべき

こんにちは、初めまして。

お父さんの「自死宣言」に戸惑われているご様子です。
ただならぬ言動に落ち着かないことでしょう。

まず、お話の前提として「今まで散々心の虐待を受けた」等の文面外の状況、程度が当方には分からないので、その点ご了解下さい。

お父さんの言動に対して、「反対すべき」「そのつもりで心構えをすべき」とお尋ねです。

私が思うに、あなたは一定の距離を取って「反対すべき」だと思います。

お父さんに「散々心の虐待を受けた」、「いつまで私の心を傷つけるんだろう」という一節にあなたの複雑な思いが伺えます。また、「正直憤りさえ感じます」と御自分の思いを率直に述べられています。

回答僧側だけに分かるプロフィールと併せて想像するに、お父さんはとても自分本位、自分勝手でしかものが見れないのではないでしょうか。

「ある日突然いなくなるから。迷惑はかけない」とお父さんは言われていますね。

そんなことが出来うるはずがありません。
連絡がない、消息がしれない、それを放っておけないのが身内です。
行方不明の状況を作ることが、どれだけあなたを苦しめるでしょうか。

むしろ、あなたが放っておけないだろうと見越してその事を言っているように思えます。それは一般に老いの寂しさということもありましょうが、自分勝手に生きてきた結果、孤独にならざるをない現実に、今やっと気がついたのではないでしょうか。自分のことを気にかけて欲しい、そうとも取れると想像します。

「自死」を表に出しつつ、心理的なつながりをあなたに求めているように思えます。これは、あなたが「心の虐待を受けた」ことと併せて考えると、とても自分本意なコミュニケーションを求めているとも思うのです。

この為、私は最初に一定の距離を取って「反対すべき」だ、と申しました。

身内だからこその情はある。「自死」も容認できない。

しかし、相手のペースにだけ合わせる必要はない。
ましてや自分勝手な人に付き合うと、次には違う形で何かを求めてきます。
そして、受け入れてもらえなければ不機嫌になる、と想像します

だからこそ、一定の距離を取る必要があるのです。
その前提で、自分の間合いで相手と向き合う。
私は当面、これで良いと思います。

ご家族のことについて、多分に想像を交えながらですが感想を申しました。
ご参考まで。

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有り難し
おきもち

釋 悠水(しゃくゆうすい)
浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布...
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質問者からのお礼

「あなたが放っておけないだろうと見越してその事を言っているように思えます。」
                   
確かにその通りかもしれません。私自身、家族から嫌われている父を見捨てられず、父の興味があるテレビ番組やスポーツを勉強するなどして機嫌をとってきました。
今もこまめに連絡するようにしています。
                   
この世話焼きがいけなかったのかもしれませんね。おっしゃる通り、もう少し遠いところから父を見守ることを考えます。
                   
こんなに早く回答をいただけるとは思っていませんでした。ずっと悩み、誰にも相談できなかったので、心が軽くなりました。
本当にありがとうございました。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

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病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ