創作活動の評価が気になってしまう
私は趣味で小説を書いていて、ネットで公開しています。
ただの素人ですが、ありがたいことに毎回いくつかの評価を頂いております。ですが、そのサイトにはランキングが存在し、評価数も目に見えるため、どうしても他人と比べてしまいがちです。
トップ群の作品と自分の評価数には数十倍以上の違いがあり、お話のジャンルや内容にも違いがあるため単純に比較できないと頭では分かっていても、数の差を見ると落ち込みます。
趣味の創作なので読んでもらえるだけでありがたいと思わなくては、と頭で考えてはいますが、作品が思うように評価されないだけで、暗い気持ちを引きずってしまいます。
日に何度も評価数を確認したり、病的なほど依存しています。子供の頃から自分と周囲の人間を比較して、深い劣等感を抱いてしまうことと関係がある気がします。私は要領が悪く、人より上手に出来ないことがたくさんあります。
好きで始めたことなのに、こうしたら受けるかなという不純な気持ちも混じるようになり、その結果、思うように書けなくなってしまいました。
自分の好きなものを人目を気にせず書けるようになりたいです。
視界が狭まっているので、どうかお知恵を授けて頂ければと思います。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
ご自身が納得するかどうかは別の話
作品の評価が、目に見える形で示されれば、気にするなというのは無理な話です。ただ、そのことで本来楽しかったはずの創作活動が思うように書けなくなってしまったり、病的に依存してしまうのでは辛いですね。
よくカラオケなどで、全然その人の歌を聞いていないのに、終わった途端に拍手をして「イエーイ!」という方がおりませんか?ですので、拍手や賞賛の声をもらっても、だから「よい」とは言えないと思うのです。逆に、拍手をもらえなかったから下手とも言えません。我々僧侶も、どんな自己満足でつまらない法話をしても「ご清聴ありがとうございました」と言って、深々と頭を下げれば、パラパラと拍手をいただけます。だけど、それでいいとは思いませんよね?
たとえが長くなってしまいましたが、はなさんの作品の評価は、他人が決めるものです。しかし、はなさんが納得するかどうかは別の話です。書店に行って、売れている本の近くによく似たタイトルの本がたくさん置いてありますね。よく似たタイトルをつけると売れるのだそうです。そのことについてどう思われますか。
はなさんにおかれましては、せっかく世に出すのですから、自分が一番良いと思うもの、満足のいくものを書いてほしいと私は思います。
自分の趣味を、他人の評価に委ねない。
あなたが楽しいのかどうかだけに
気持ちを向けましょう。
他人の評価次第で
あなたの楽しさが左右されることはありません。
あなた自身が楽しければ
それで充分なのです。
他人の評価が問われるのは
それを仕事にしている時だけです。
趣味なら
自分が楽しいかどうかだけが評価の基準です。
質問者からのお礼
増田俊康 様
カラオケの例、とても分かりやすく、また、はっとさせられました。他人の考えより、自分が納得するかどうかが一番大事ですよね。ありがとうございます。
和田隆恩 様
趣味ならば楽しむべきという、明快なお答え、その通りだと思いました。あまり深刻にならず、活動自体を楽しめるようにしたいと思います。ありがとうございます。
お二方へ
要点のまとまらない質問でしたが、お二方とも丁寧にお答えくださり、とても嬉しかったです。相談したことで、気持ちが楽になりました。この度はご回答を頂き、まことにありがとうございました。