悟りを開きたいです
これまで色んな人に愛されて何不自由ない環境で育ってきましたが、世の中又はこの現世に価値を見出だす事が出来ません。色々なものに興味を持とうとしたんですが、どうしても宗教的なものにしか興味を持つ事が出来ないので、悟りを開くしかないと思いました。人としての自分や周りの人達にも興味を持つ事が出来ません。この世に生まれたのには何かしらの理由があっての事だと思ってます。自分と価値観の合う人と出会った事がないので自分がよく分かりません。最近ではこの世が偽物の世界で本当の世界が別にあるんじゃないかとすら思ってしまいます。霊感があるか分かりませんが、周りの人達の悪い感情によく気がついて不安になります。どうやって生きていけばいいんでしょうか?分かりにくい文章ですいませんが回答お願いします😓
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
まず拠り所を問いましょう
こんにちは、初めまして。
文章を読み終わって私が思い浮かべたのは、お釈迦様の片腕として活躍されたお弟子・舎利弗(しゃりほつ:シャーリプトラ)の青年期のお話です。
まだ、在俗にあった頃、地元の村でお祭りがあったそうです。
多くの人が飲めや踊れの宴を繰り広げているところに、かの青年が佇(たたず)んでいました。そうして、思ったそうです「このように皆楽しそうにしているけれど、百年後にはこの場の誰も生きていないだろう」と。真に楽しむべきものはここにはない、と感じられて求道の人生を選択され、後にお釈迦様と出会うのでした。
あなたは「色々なものに興味を持とう」とされたけれど、結果「宗教的なものにしか興味を持つ事が出来ない」とのことですね。
かの舎利弗さんのように、皆が何の疑問も持たず楽しいことを追求していく、これとは一線を画した歩みをあなたは欲しているのだろうと思います。
本当に楽しむべき、拠り所を得て喜べるような道が仏教にはあるので、少しづつ自分のペースで求められていることが宜しいと思います。
ただ、その一方あなたは現実生活もあることと思います。
様々な人と付き合っていかねばならないでしょう。
なかでも、「周りの人達の悪い感情によく気がついて不安になります」という現実的な悩みもあるとのこと。
これは、あなたが人のことに配慮できる心の余裕の持ち主でもある、とも言えましょう。自分に余裕のない人は他者に気が回りません。
ただ、反面、あなたが他者を基準にして自分を評価してもらう、というスタンスでいるからこそ「不安」になるとも思います。他者それぞれの評価は、気分や考え方でその都度揺れ動きますから、自分の評価がどうなるかが常に「不安」にさらされるわけです。
ここまで考えると、あなたにとっての判断基準、拠り所は何であるのかが再び問題になります。その意味では、あなたの現実と仏教はつながっているのだと思います。
ここで、有名なお釈迦様の教え、「自灯明、法灯明」をお伝えします
自らを灯火とし、自らを拠り所としなさい
他をたよりとしてはならない
法の教えを灯火とし、拠り所にしなさい
他の教えを拠り所としてはならない
仏教を拠り所とした自分で今後歩めていったら良いですね。
ご参考になれば。
応援しています。
質問者からのお礼
ありがとうございます。拠り所を探すところから始めたいと思います。