解脱とはについて
1. 解脱=悟り=涅槃ですか?
2. 解脱とは実際にあることですか?なにか架空のことではないですか?
解脱がなにかわかっているわけでもなく、質問しています。
インターネットや本で調べたほうがよい内容ですが、よくわかりませんでした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
悟りによって輪廻から解脱し涅槃に
浄土宗大辞典ウェブ版より「解脱」http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%A7%A3%E8%84%B1
をご覧いただき、その後に「涅槃」もご覧ください。
仏法に帰するとは涅槃に帰することだという記載もあります。
つまり、解脱や涅槃を信じることが仏教信仰(仏・仏法・僧の三宝に帰依する)の重要な要素なのです。
戒(生活習慣)・禅定(精神集中)・智慧(現象を観察して真理を悟る)の修行の結果悟りの智慧を得る。
智慧で煩悩が消えることで、輪廻転生から解脱(生き物であることから卒業)でき、涅槃に入ることができる。
その一連の流れを信じることが、仏教信仰の重要な要素なのです。
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」つまり「解脱や涅槃こそが究極の平安である」と理解して信じ、解脱をするために悟りを目指して修行するのが仏道の基本です。
経典には、お釈迦様やそのお弟子さん達が悟りを得られ、涅槃に入られたことが記述されています。
信じるか信じないかはあなた次第。
追記
輪廻転生はあるのか?輪廻転生の原因は煩悩で、悟ったら煩悩がなくなり輪廻から解脱できる(涅槃に入れる)ののか?
このあたりは信仰や思想の問題であり、信じるか信じないか、信じたいかは、人それぞれだと思います。
解脱とは
追記・・
再質問「解脱しても悟り=涅槃に至らなかったら、その人が死んだら悟ってない状態でただ消滅するということですか?」についてですが、
解脱した存在は、業が清らかとなっており、迷い苦しむ存在には生まれる因縁を断っているものの、悟りへと至るまで敢えて輪廻世界に留まり、衆生済度(救済)に努められることもありますが、兜率天などの天部、極楽など他の浄土で修行に励まれる場合もあります。
また、無余涅槃に入り、心身共に滅した境地に入ることもあるとはされますが、そのためには、いずれにしても悟り、涅槃へと至らないといけないものとなります。
いずれにしましても、悪い業の果報が尽きるまでは、輪廻に留まることになってしまうとお考え頂けましたらと存じます。
マツさま
解脱とは、解き脱するとあるように、縛り付けられているものから開放されるということであります。
では、私たちをそのように縛り付けているものは何かと言いますと、「輪廻の牢獄」となります。
輪廻とは、迷い苦しみの世界に転生、生まれ続けることであります。
仏教では、輪廻の世界は六道として、天・人・修羅・畜生・餓鬼・地獄と分類されますが、そのような境涯として実際に生まれる場合と、そのような境涯における苦しみを受けるという意味合いもあります。人として生まれても、修羅や餓鬼、畜生の受けるような苦しみを受けることもあるということです。
輪廻に生まれ続ける原因は、無明・煩悩による(悪)業によっての因縁であります。
解脱とは、輪廻に生まれ続ける原因である業を、仏道修行、六波羅蜜により、まとめると智慧の開発と功徳の集積の力によって浄らかとして、輪廻の原因を断つことができた段階となります。
専門的には、煩悩障を断じた状態となります。
阿羅漢果、菩薩の八地(十の境地の内の八)に到達した段階となりますが、まだ、解脱しただけの段階は、悟り、涅槃に至ったというわけにはなりません。
悟り、涅槃へと至るには、無明による習気である所知障を断滅させることが必要となります。
解脱した段階は、既に輪廻に生まれて苦しむ存在ではありませんが、まだ、悟り・涅槃へと至るには邪魔になっているものがあるという感じであります。次に、その邪魔となっている所知障を断滅することで、ようやく成仏になるということであります。
合掌
質問者からのお礼
解脱しても悟り=涅槃に至らなかったら、その人が死んだら悟ってない状態でただ消滅するということですか?
天部では悟りを開くことはできず修行できない(だから人間に生まれたことは修行できるチャンスだ)とどこかで読んだ気がしたのですが、記憶違いだったのかもしれません。
悪い業の果報が尽きるまでは、輪廻に留まることになることはさすがに読んでわかりました。また、何かで読んで知っておりました。
理屈を理解するだけでもなかなか難しいですね。
あまりよくわかっていないですが、混乱してきましたので、これぐらいにしておきます。
別質問をまたさせていただくこともあるかと思います。
大変ありがとうございました。