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悟り体験と仏教との関わりについて

回答数回答 2
有り難し有り難し 21

こんにちは
初めて質問させて頂きます。
私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。
そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。
私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。
2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。
理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。
仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。
逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。
また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

2023年3月7日 12:04

この問答を娑婆にも伝える
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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

その神秘体験が

 こんばんは。私は残念ながら同様の体験はありません。ただ分かるのは、それが脳内のことだということです。
 だからと言って、それが夢だとか無意味とは思いません。きっと大事なのは、その体験から戻って娑婆をどう生きるか、ということだと思います。
 例えばあなたは今日もご飯を食べたはずです。それをどれだけきちんと味わえたか?他者の命を自分が頂くことで、それを生かしていこうと思えたか?他人もまた輝く光なんだと思って接することができたか?
 折角の貴重な体験です、それを自分の生き様を照らし修めていく梃子にしてこそ、その二つの世界は繋がると思います。

2023年3月8日 0:00
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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ぜひ実践なさっていきましょう

拝読させて頂きました。
あなたがその様な体験をなさり本当に尊いことや真理を感じることできたことはとても素晴らしいと思います。

おそらくあなたが感じたことを他の方々もわかって下さるでしょうし、理解なさって下さるでしょう。

私はあなたがその様な体験を実感なさりながらぜひこれからの人生の中で実践なさっていって頂きたいと思います。
おそらくあなたのその体験を仏教の教えはより一層裏付けていくことができるでしょうし、具体的な行動をなさっていく中で説得力も増してくるでしょう。

ぜひ仏教を学びながらあなたの身の回りから真理に基づき日々の生活を通して実践なさって下さいね。

あなたがこれからの未来を真理に基づいて善き考えや言葉や行いを実践なさっていかれてあなたやあなたの身の回りから素晴らしい毎日を皆さんと一緒に生きていかれます様にと切に仏様に祈っております。

そしてあなたを心より応援させて頂きます。

2023年3月8日 6:43
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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

ご返答ありがとうございます。
その後、原始仏教やヒンドゥー教が比較的自分の考えに近いのではないかと感じ、少し文書を読み始めました。
つくづくあの世界を文章で表現するのは苦労がある気がします。
距離や時間、熱、自我など当たり前の概念がなく、でもただ有るだけというような世界観など脳の知覚を超えていて、表現できないジレンマを感じます。
でも、全生物が本来そこの住人なのかなと思います。
いづれにしてもお坊さん方のアドバイスを頂き、つかの間の現世で煩悩にまみれながら少しでも朗らかに生きていくのが良いのかなと感じました。感謝します。
どなたかあの世界を体験された方がいらっしゃれば語り合いたいです。

「悟りとは」問答一覧

悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

悟ると諦めるの違いは何か。

質問失礼いたします。 行く先先で虐待、人間関係、ブラック企業と色々ご縁が続く私でございます。 代わらず嫌な出来事は多く目の前にあり、 夕飯の支度をしながら 疲れたな、死んでやろうか。 などと思うこともありますが、 まあそれも無駄だな、と思いながらなんとかストレス回避をしながら楽しみをみつけて毎日過ごしています。 過去のトラウマはだいぶ歳のせいか痛みを覚えてくる事は減り、まるで他人の事のようになってはいますが、周りを助ける経験や知識として生かす事が出来るようになってきています。 そんな最近の趣味が、 人と議論することや、 思考実験的な小説を書く事なのですが、 仏門を題材に小説を書きたく思い、 悟りと諦め、 または悟りとは何なのか、が気になっているのですが、説法頂くことは可能でしょうか? 仏門が目指すところは、 楽しく生きて死ぬための基本的な知恵だと思っています。 本を読んだりしてはいるのですが、 お恥ずかしながら、今回書こうとしているのは家が寺の為そのまま住職を引き継ぎ、 まだ自分の目指すものの先が見えず悟りとは何かと悩むおそらく浄土真宗の僧侶の話です。 (浄土で救われるなら、生きて頑張る必要はないのでは?ととんだ浅はかな考えを持っている、若い住職です。) 寺を訪れにくる人たちの過去の虐待経験や家庭の問題を受け身で聴き、俗世を憂う話です。 お坊様達は、痛みだらけの世の中をどうかんがえていますか? 痛みばかりでも、人生捨てたもんじゃない、と思いますか? できれば、このような経験を自分がした事がある、というお坊様のお話もきければと思います。 過去の事は過去、自分も他人も許し前を向く、というようなことをしてみても、やはり古傷はいたいです。 悩みではなく質問になってしまい申し訳ありません。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 30
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ