悟り体験と仏教との関わりについて
こんにちは
初めて質問させて頂きます。
私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。
そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。
私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。
2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。
理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。
仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。
逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。
また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?
40代会社員です。20年ほど前に酸欠から悟り(?)体験をしました。 私は仏教徒ではないのですどなたか同じ思いの方がいれば嬉しいです。 ------------------- すべての生物は根本は同じで、他人と自分も本性は同じもの。この意識と他の意識もつながっている感じ。 宇宙を構成するすべてと一体化した気分になり、私は私であり、宇宙の一部であり、私は彼であり、彼は宇宙の一部であり。彼は宇宙。のような感じで存在を分ける必要はなく、時間も距離も無いと感じた。 肉体があることによる制約から離れると、遺伝子の束縛からの解放で全能感がすごい。 これが本当の世界かと感動した。 今いるこの世界は受動的な物質の塊で構成されていて、あの世界とこの世界は対を成し、お互いの世界があるから相互に存在できる。+と-のようなものと理解した。 一方で私は現在つかの間の物質世界、人間世界に居るので煩悩に合わせて作られた人類社会のルールに乗って自分も煩悩をしっかり持って生きていこうと思う。
煩悩は全て全開ですがそれが無意味であることも少し理解しています。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
その神秘体験が
こんばんは。私は残念ながら同様の体験はありません。ただ分かるのは、それが脳内のことだということです。
だからと言って、それが夢だとか無意味とは思いません。きっと大事なのは、その体験から戻って娑婆をどう生きるか、ということだと思います。
例えばあなたは今日もご飯を食べたはずです。それをどれだけきちんと味わえたか?他者の命を自分が頂くことで、それを生かしていこうと思えたか?他人もまた輝く光なんだと思って接することができたか?
折角の貴重な体験です、それを自分の生き様を照らし修めていく梃子にしてこそ、その二つの世界は繋がると思います。
ぜひ実践なさっていきましょう
拝読させて頂きました。
あなたがその様な体験をなさり本当に尊いことや真理を感じることできたことはとても素晴らしいと思います。
おそらくあなたが感じたことを他の方々もわかって下さるでしょうし、理解なさって下さるでしょう。
私はあなたがその様な体験を実感なさりながらぜひこれからの人生の中で実践なさっていって頂きたいと思います。
おそらくあなたのその体験を仏教の教えはより一層裏付けていくことができるでしょうし、具体的な行動をなさっていく中で説得力も増してくるでしょう。
ぜひ仏教を学びながらあなたの身の回りから真理に基づき日々の生活を通して実践なさって下さいね。
あなたがこれからの未来を真理に基づいて善き考えや言葉や行いを実践なさっていかれてあなたやあなたの身の回りから素晴らしい毎日を皆さんと一緒に生きていかれます様にと切に仏様に祈っております。
そしてあなたを心より応援させて頂きます。
質問者からのお礼
ご返答ありがとうございます。
その後、原始仏教やヒンドゥー教が比較的自分の考えに近いのではないかと感じ、少し文書を読み始めました。
つくづくあの世界を文章で表現するのは苦労がある気がします。
距離や時間、熱、自我など当たり前の概念がなく、でもただ有るだけというような世界観など脳の知覚を超えていて、表現できないジレンマを感じます。
でも、全生物が本来そこの住人なのかなと思います。
いづれにしてもお坊さん方のアドバイスを頂き、つかの間の現世で煩悩にまみれながら少しでも朗らかに生きていくのが良いのかなと感じました。感謝します。
どなたかあの世界を体験された方がいらっしゃれば語り合いたいです。