hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

悟りって実際にどのようなものなのですか?

回答数回答 2
有り難し有り難し 12

悟りについて興味があります 現在は、「今、ここを生きる」というチベットのお坊様の書かれた本に従って、一日中マインドフルでいられるように精進しています

禅の本やテーラワーダの本、チベット仏教やボン教の本まで読みましたが、実際に現場にいる僧侶の方の体験を聞いてみたいです

「認識が止む」のような、なにかしらバチっとした特殊な体験が一度だけあるのか
それとも徐々に深まっていくようなものなのか

宗派を問わずご教示くださったら幸いです

2024年2月24日 15:40

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「我」(私という気持ち)がなくなることが

悟り、のようです。
 大昔に『悟りの階梯』とかそのパーリ語原典を添付した『悟りの4つのステージ』とかをサンガから出版しましたが版元が倒れて……、図書館などにあるかもしれません。
 釈尊は悟りを4段階(四沙門果)で説明していて、その最初は、「私」があるわけではないのだと理解・納得すること、最後の阿羅漢の悟りは、実際にその人の認識の流れから「私」がなくなったこと、となります。
 間の2つは、「私」がないという理解が深まり、必然的に欲や怒りも減っていく過程です。「私」がないなら、「(私が)ほしい」とか「(私が)怒った」などという感情が起きなくなるので、欲や怒りが徐々に減っていくのです。

2024年2月25日 8:53
{{count}}
有り難し
おきもち

初期仏教というか仏教本来の教えを学びつつ、その在家信者のあり方から見た日本...
このお坊さんを応援する

自分のためだけでない修行にして欲しい

悟りとはあなたの考えているようなことではないです。体験があるとかないとか関係なく、今のあなたのありようそのものが悟りである。そこにあなたという存在がない。そのことに気づきそこに安住し、ぶれないということです。

体験があったからと言ってそれをまた体験したくて追い求めていたら、そこに自分がいることになる。常に自分のための修行となっていたらそれは悟りではないのです。

自分のための行でなく人を救う慈悲の行であって欲しいです。
本を読んだり人の悟り体験を聞いても迷うだけです。正師と呼ばれる僧について学ぶことが大切です。
道を間違えないためにも、探して欲しいです。

2024年2月24日 22:32
{{count}}
有り難し
おきもち

禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺副住職。 悩みを吐き出す事で、ちょ...
このお坊さんを応援する

「悟りとは」問答一覧

悟り体験と仏教との関わりについて

こんにちは 初めて質問させて頂きます。 私は仏教徒ではないのですが20年前に所謂悟り?のような体験をし、以来あの素晴らしい世界観が忘れられず、同様な体験のある方が居るのか知りたいと考えていました。 そのとき、私は宇宙の銀河ような広大な空間に居ました。数多の光が輝き、私はそのうちの一粒の光として存在し、すべての存在と一体感を感じて満ち足りていました。 私達の住む物質世界のしがらみや生物の本能から一切離れて2つの全く違う世界が存在することを知り、目が覚めた思いがしました。 2つの世界の存在を知り、ここには書ききれませんが、如何にこの世界での欲や争いが無意味か知り、死が怖くなくなりました。また、2つの世界を繋ぐものは何か考えてきました。 理想的には皆があの体験をして世界の構造を知れば争いなどなくなるようにも思いますが、しかし実現不可能なことも理解しています。 仏教はこういった世界を体系的に表して広めようとしているものなのでしょうか。私は自分の体験が素晴らしいと思っていますが、どう伝えてもとても他人に理解できるとは思えません。 逆に体験した方にはすぐに伝わると思います。 また、私の他にも同様の気持ちの方は居たりするのでしょうか?

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

悟りや天国に優しさは必要ない?

仏教には、達磨大師など偏屈で冷淡な高僧が多い印象があります。自称霊能者の類にも、優しくない人がいっぱい居ます。悟りや天国に、優しさは必要ないのだろうかと非常に悔しく思います。それはきっと、私がなんの取り柄もない代わりに、「こんな優しい人を初めて見た」とよく言われるような人間だからだと思います。そう、まるで自分の唯一の強みが、天国へ行くために必要ないと世界から言われているような悲しさを味わったのです。ちなみに優しくない人とて地獄に落ちていいとは思いません、人類も動物もみんなで一緒に天国へ行くのが私の望みです。ですが、私は聡明で冷淡な人よりも、鈍重でも優しい人こそより高い天国へ行ってほしいという感想があります。ですがブッダを含めた高僧の多くが王族の出身であったりと、天国に行く人はヒンドゥー教でもカーストがあるように人柄ではなく家柄で決まるのだろうか、とも。 酷く冷淡な自称霊能者に突き放されて酷く傷ついたことも先日あったので、天国に行くために優しさが必要不可欠となるイスラム教に、2駅くらい先の寺院へ行って改宗しようかさえ思いました。ちなみに、「浄土教ならあなたも高僧以上の悟りに辿り着けるよ」と広報運動をしている人は居ました。 (実家は浄土真宗です) などなどについて、何かのアドバイスをいただけたら幸いです。これを見てくださっている優しいあなたにも幸福がありますように。

有り難し有り難し 21
回答数回答 2

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ