悟りって実際にどのようなものなのですか?
悟りについて興味があります 現在は、「今、ここを生きる」というチベットのお坊様の書かれた本に従って、一日中マインドフルでいられるように精進しています
禅の本やテーラワーダの本、チベット仏教やボン教の本まで読みましたが、実際に現場にいる僧侶の方の体験を聞いてみたいです
「認識が止む」のような、なにかしらバチっとした特殊な体験が一度だけあるのか
それとも徐々に深まっていくようなものなのか
宗派を問わずご教示くださったら幸いです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「我」(私という気持ち)がなくなることが
悟り、のようです。
大昔に『悟りの階梯』とかそのパーリ語原典を添付した『悟りの4つのステージ』とかをサンガから出版しましたが版元が倒れて……、図書館などにあるかもしれません。
釈尊は悟りを4段階(四沙門果)で説明していて、その最初は、「私」があるわけではないのだと理解・納得すること、最後の阿羅漢の悟りは、実際にその人の認識の流れから「私」がなくなったこと、となります。
間の2つは、「私」がないという理解が深まり、必然的に欲や怒りも減っていく過程です。「私」がないなら、「(私が)ほしい」とか「(私が)怒った」などという感情が起きなくなるので、欲や怒りが徐々に減っていくのです。
自分のためだけでない修行にして欲しい
悟りとはあなたの考えているようなことではないです。体験があるとかないとか関係なく、今のあなたのありようそのものが悟りである。そこにあなたという存在がない。そのことに気づきそこに安住し、ぶれないということです。
体験があったからと言ってそれをまた体験したくて追い求めていたら、そこに自分がいることになる。常に自分のための修行となっていたらそれは悟りではないのです。
自分のための行でなく人を救う慈悲の行であって欲しいです。
本を読んだり人の悟り体験を聞いても迷うだけです。正師と呼ばれる僧について学ぶことが大切です。
道を間違えないためにも、探して欲しいです。