嫌な思いを一瞬の怒りで片付けたい
嫌な思いをした際に、それを心に残して引きずるのではなく、少し怒った後に流せるようになりたいです。
例え話をさせていただきます。
中身を知らずに読み始めた物語に、猫を虐待する描写があったとします。
猫好きのAさんは「こんな不快なもの書きやがって!」と怒り、本を閉じました。
その後、多少嫌な気分は残っても、長く引きずることはなく、猫好き暮らしを続けます。
一方、猫好きのBさんもその本を読み不快感を覚えましたが、すぐに忘れることができません。描写が鮮明に頭に残り、猫を見るたびに連想ゲームのように不快感を思い出してしまいます。
私は猫好きBさんのタイプです。
嫌なものを見たり聞いたりした記憶が蘇りやすいのです。
しかも、脳の中で勝手に膨れ上がり、事実よりも悪く記憶している気がします。
例にあげた件でいうと、猫を見ないようにすれば連想ゲームのように嫌な記憶が蘇ることはありませんが、根本的な解決にはなりません。似たような事態を繰り返す可能性がありますし、実際に繰り返してきました。
世の中には猫好きAさんタイプの人間も存在すると思います。私はAさんタイプに近づきたいのです。
性格や価値観を変えることは容易な事ではありませんし、嫌な記憶を考えないようにしよう、忘れようというのも無理があると分かりました。
しかし、見方を変えてAさんの考え方に近づくことなら可能ではないかとも思い、お坊さまに助言を頂きたく、相談をさせていただきました。
妙な例え話を長々と展開してしまい、失礼をいたしました。
御言葉をお待ちしております。
どうぞ、よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
こんにちは。
私も同じですので、あまりアドバイスできる立場にはないのですが...
例えば、あなたが、先端のとがったものが手に刺さって痛い思いをしたとします。そうすると、次に先端のとがったものを見ると、痛かった時の事を思い出し、「あれは痛いぞ」と警戒します。これは私たちに備わった危機管理能力だと思います。本能です。もし痛かった事を忘れてしまえば、何度も何度も同じように痛い思いをしなくてはなりません。
どんな事でも強烈な事は思い出してしまうものなのです。それも増幅して。動物としての本能ですのでしかたありません。
さて、対策ですが、「思い出しても相手にしない」事だと思います。これは坐禅をしているときに意識をどうするかの方法なのですが、何かが頭に浮かんでも、相手にせず受け流すのです。例えば「今日の夕ご飯なんだろうなぁ...」と浮かんできたら、(あれが食べたい、昨日食べたアレはおいしかった..)などと浮かんできてしまいがちですが、そこに行かず、「今日の夕ご飯何だろうなぁ...」(おわり)とする、という事です。猫を見て残虐な事を思い出しそうになっても、それにつきあわず、受け流すのです。
まあそれができれば苦労はしないんですけどね...試してみてください。
質問者からのお礼
光禪様
お返事が大変遅くなり、申し訳ございませんでした。
言い訳でしかありませんが、再び悩みに向き合うのが怖く、しばらくこのサイトから距離を置いておりましたため、お礼が遅くなりました。
この度は御言葉をありがとうございました。
光禪様にお話を聴いていただき、心を落ち着け、自分なりに問題に向き合う方法を発見することができました。現在はそのことに集中しております。
完全に解決できたわけでもなく、かつ別の問題にも繋がりかねない状態ではありますが、今は大分気持ちが軽くなりました。
お話を聴いてくださったことに、心より感謝申し上げます。