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死ぬ事「だけ」が辛い

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有り難し有り難し 6

最初の就職先に、半年で
出ていけと言われ、心が折れ
まともに再就職出来る気がしない
親が先に死ぬのは当たり前なので
いつまでもすねをかじれない
バイトだけでは寿命を全うするまでの
稼ぎを得られない。 男に無縁など
今は辛くはないですが、生きていていく未来に希望を見いだせません。
ですが死ねば、見えないながら
仲良くなった幽霊の友達や神様方が
お話したり、遊んだり
散歩してくれるとおっしゃいました。
こちらへ来るのを待ちきれない、
だから早くこちらへ来いと
夜中に神様方が
肉体が精神を手放すように
手伝ってくれましたが
結局呼吸を止めきる事が
出来ませんでした。
朝を迎えて起きてから
死ぬ事「だけ」が辛いと
死というものをありありと自覚し
泣きながら身を震わせています。
恐らく寿命でさえ
安楽死ではないのでしょう。
少しだけ調べましたが
死のうと思ってしまうほどの
絶望を抱えた人達ですら
自殺未遂に終わり
光を失ったまま
今を生きている者も居ます。
絶望しきった訳ではない私は
彼ら以上に死ねないでしょう。
生き物は全ていつかは死にます。
それでも私だけでなく
寿命の前に人が楽に死ぬ方法を知りたいです。
余談:方法だけなら、
一瞬で頭全体を脳まで潰すという
答えを出してみました。
しかしその状況が、
高速道路で急ハンドルを切り
反対側の車線へ飛び出すという
どう考えても迷惑極まりない方法しか
思いつけませんでした。
一秒でもはやく皆に会いたいです。
いつまでも返答をお待ちしています。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いろんなつながりの中で

拝読させて頂きました。
あなたが今生きる中での思いを読ませて頂きました。
あなたは決して独りではありませんものね。目に見えない方々ともつながっていますし、私達ともつながっています。そのつながりは永遠にあるのです。
あなたの生命はあまたのものに与えられています、ですからその寿命も与えられたものです。

いつの日かあなたの天寿を全うする時が参りますが、様々な巡りあわせによって定まっていくのです。ですからその方々が呼んでも直ぐに寿命が決まるのではありません。ましてや死は終わりではありません、その後も様々なつながりの中で存在していきます。

私達は様々なものとつながっていますからいろんな場面で交流することはできるのです。ですから死ななければ会えないということではありません。
亡くなられた方とも様々お会いしたり、気配を感じることも或いは心を通わせることもあるのです。

あなたには与えられた尊い生命があります。今あなたは与えられた人生や時間をいろんな方とのつながりや出会いや出来事の中で試行錯誤しながら学んでいるさなかです。
その中であなたにとって大切なものやあなたの生きる意味や目的を見つけているのです。

生きる中でつらいことや苦しいこともあるでしょうし、嬉しいことも楽しいこともあるでしょう。よろしければあなたの思いをここでもお話しなさってくださいね。どうかあなたのお気持ちを教えて下さい。

何でも全てが一気に解決したり変わるものではありません、様々な出会いや出来事の中で少しずつ移り変わり、考え方も向き合い方も変わっていくのです。その中で自分の生き方や考え方や価値も常に移り変わっていくのですし、人とのコミュニケーションも関わり方も変わっていくのです。

どうかゆっくりとお話しくださいね。生きることはあなたが想像する以上の幅広く奥深いですし、見方も沢山あるのです。

あなたをいつもお待ちしていますね。

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有り難し
おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

まず初めに、読んで頂き本当に
ありがとうございました。
朝起きてから心臓がざわめいて
どうしようもなかったのですが
返事を貰い楽になりました。
神様うんぬんを信じるかはそちらへ任せます。
質問文に私の心を書き損じましたすみません。
私はとんでもない根っからの怠け者で
尚且つ人見知りな軟弱精神の持ち主です
彼氏いない、友達いない
だからといって自ら
繋がりに行く事もしません。
両親も共に住んで居ますが
仲は悪くないが深い話を出来る程ではない。
つまりここへ吐き出した相談の
ただの1ミリすら誰にも話せません。
とても孤独でした。
生憎私の精神は、長いので言いませんが
3回死を迎え、もはや穏やかです。
そのおかげ?で今までは平気でした。
しかし、ここ最近で次から次へと
話せる相手が増え続け
今までからっぽだった心が溢れて
暖かくて、それが痛すぎて
壊れそうです。
我が身に有り余るほど
幸せすぎて、それを受け止め切れず
辛いのです。なんという贅沢でしょう
それでも、やはりそれはそれ。
苦しいので死にたいし
苦しいので死にたくないです。
私は、これからも沢山の
恐怖を、幸福を、矛盾を抱えて
本当の最期の時まで
死にきれないのでしょう。
ここまで書いて今、気づきました
私の気持ちが急いていた
だけかもしれません。
しかし、神様方は神様方で
気持ちが急いて居ます。
高頻度で死への誘いとして
ちょっかいを受けることでしょう
それはそれで時には本気にしたり
時にはあしらったりしながら
楽しむことにします。
なんか自己解決してしまいました。
わざわざ無駄文に目を通して頂き
改めてありがとうございました。
以下、さらに余談です
ネット上で密かに活動していた
とある方が
「助かる気のない人には、手を差し伸べるだけ無駄。共倒れするだけだ」
と言っていたので、私が
差し伸べられた手にしがみついて
起き上がる気がないタイプの人間だと
自覚しました。
今回も本当の意味での助かる気が
無いと思われます。
目を通して頂いただけで本当に
有りがたかったです。

「死について」問答一覧

死別シングルマザー

夫と死別し、半年経ちました。 死後の手続きなどでバタバタと、忙しくしていましたが、この頃PTSDの症状がでて、とうとう仕事にいくこともできなくなりました。 一ヶ月の休職ですが、休んでる間に収入の不安、子どもたちのこと…色々と考え過ぎてよけいに具合が悪くなっている気がします。 職場からは、また笑顔で戻ってくることを待ってますと温かい言葉を掛けてもらっているのですが、夫を看取った病院が職場の直ぐ側であることや、救急車が頻繁に通ることなどから、正直一ヶ月休んだところで復帰する元気があるかわかりません。何も前に進めない自分に自己嫌悪の毎日です。お金の不安と、パートナーを失くしたことから『風俗』で働いて少しでもお金を…と浅はかな考えも拭えません。時間が長く感じます。こんな姿を夫が見たらなんて思うだろう。夫じゃなくて、不器用な私が先に亡くなればよかったのにとまで考え込んでしまいます。周りには自分のように30代で配偶者を亡くした人はおらず、まるで腫れ物のように感じます。他の家庭を見ると、赤ちゃんが生まれた…家を建てる…夫婦仲良く子育てできてて自分にないものばかり目に映り、生きづらいです。

有り難し有り難し 6
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「周りの人間の死」への向き合い方

「周りの人間の死」への向き合い方が分からず、恐らく変な方向に価値観が向かってしまい、常に一定の苦しみを抱えてしまっています。 無理やり挙げるとすれば、恐らく一番大きなきっかけは、2年前に母の母である祖母が急死されたことだと思います。大きな病気やケガもなく元気に畑で過ごしていた祖母の急死に頭が追い付かず、又様々な状況を理由にしばらく会えなかったことや、恩返しなども出来なかったと感じたことによる後悔と主に、「人は急に死ぬこともある」といった至極当然のことに恐怖を覚える様になりました。 その"急死"は脳内で"事故死"等に変換されたようで、現在は「自分が何か人に頼むことで事故死するかも」といった恐怖をもってしまっています。私が親に頼んだ買い物の道中で死ぬかも、私が選んだ待合場所のせいで、指定した時間のせいで友人が死ぬかも、と思うと、所謂"普通の価値観"で人に頼る事、あまつさえ意見や提案事の提示も難しくなってしまいました。 正直自分の死は大して怖くはありません。ただ、もしそういった状況で知人が亡くなってしまえば、仮に明らかに自分のせいではなくとも「自分がこの人を殺した」と思ってしまうに違いないと感じています。又そういった気持ちを抱えてその後の人生を全うできるとは到底思えません。 バタフライエフェクトのレベルで「人の死に関与したくない」といった気持ちが大きくなってしまい、生き苦しさを感じてしまっています。 この価値観が、俗にいう「変・ずれている・間違っている・過剰」ということは頭では理解できているつもりです。ただ、どうにも心がこういった考えを除いてくれません。 もし仏教などを用いて少しでも楽に生きることが出来るのであれば、と思い、相談させていただいている次第であります。ご意見をお伺いできますと幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 2
回答数回答 1

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
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死んではいけない理由を教えてください

駄文につき失礼致します。 私は大学生です。 様々なストレスが重なりうつ病を発症しました。目下治療中です。 薬を飲み始めてからは落ち着きましたが、昔は希死念慮がよくありました。漠然と死んでしまいたいと思うことがよくありました。 投薬による治療や、様々な死生観等に関する書籍を読むうちに次のような価値観が形成されました。 死んでしまっては選択肢がなくなる。 生きているうちは選択肢が無数にある。 生きる事に行き詰まって選択肢がなくなってしまったと思ったら、死ぬことを考えよう。 これは今私が生きている理由の一つですが、この考えは一見生きることに前向きなようで死ぬことを否定していないのです。 言い換えれば、いつでも死ねると言う風にも捉えられます。 私は今のところ死ぬことは勿体無いと考え自殺を踏みとどまっていますが、自殺を否定する理由は未だに見つけられていません。 生きている限りいつかは死が訪れるものであり、やがては受け入れなくてはいけないものだと考えていますが、自ら死に近づく行為はいけない事なのでしょうか? 確かに、人が皆自殺を礼讃するようになれば人間社会は成り立たなくなってしまいます。 しかしながら生きることが権利ならば死ぬこともまた同様なのではないかとも考えてしまいます。 どなたかお力添え頂ければ幸いです。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ