実家の墓に他人の墓石
実家や親類一族、妻の一族においても、難病や精神疾患、突然死や離職が多く、恐れがあります。
少し覗いてみれば、どの家庭にもあることかも知れませんが、やはり気にせざるを得ません。
何を持って縁とするかは分かりませんが、実家の墓に他人の墓石があり、なぜか父親に問うた所、先祖が世話になったそうで、非業の死を遂げたものの無縁仏にするわけにいかず置いているそうです。戦中戦後の話のようです。
父親は詳しい話は知らず、また子の言うことを聞き入れはしないので、何とかせよと言うても、変わりはありません。
一族の話と縁も縁もないことかも知れませんが、ご助言を賜りますようお願いいたします。
無理してでも一歩先んじようとする。 失敗にとらわれそれが忘れられない. より良くしようと力尽きる。他人にも自分にも理想が高い。 よく不安にかられています。うまく休めない.
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
袖振り合うも多生の縁
「実家の墓に他人の墓石」があることを否定的に受け止め、難病等に罹る原因となるではないかと心配されておられるようですね。
自分の家のお墓に全くの他人の墓石が有れば不審に思うのも無理ないと思います。でも、頻繁では無いにしても、このような例は時折あります。
戦前の時代の話ですが、使用人が亡くなって自分の家の墓地に埋葬してあげたという例がありました。また、檀家の家族放浪して遠方で無くなり彼の地の墓地に埋應してもらっていたようであったが、後日連絡先がわかり実家である檀家のところに連絡がありました。連絡を受けた檀家は遺骨を引き取りに行ったということがあったそうです。
SASさんの御先祖は身寄りが無く遺骨の引き取り手が無かった御遺体をかわいそうだと思い、自分の墓地に埋葬してあげたのだと思います。その行為が自分たちに災いをもたらすのではないかと不安に感じる。まあ、そういう受け止め方が間違いであるとは言い切れないでしょう。
私はむしろ逆の可能性の方を考えております。非業の死と遂げ遺体の引き取り手が居ない方のことを不憫に思い、あなたの御先祖は慈悲深い心から自分の墓地に埋葬してあげたのだと思います。「実家の墓に他人の墓石」とはご先祖様の慈悲行の証しであり、「善行の種まき」をなさったのであると言えます。「実家の墓に他人の墓石」がSASさんのお宅に果報をもたらす可能性もあると思います。
>
実家や親類一族、妻の一族においても、難病や精神疾患、突然死や離職が多く
>
こういう不安に駆られると、何か原因を見つけたくなるのが私達です。「見つけたくなる」だけで住めばいいのですが、時には特に根拠が無くても「悪者」のレッテルを貼り付け、犯人扱いをしてしまうことがあります。失礼ですが、SASさんは今私が述べたようなレッテル貼りをたろうとしています。不安を取り除きたいという気持ちはわかります。表題に「袖振り合うも多生の縁」と書きましたが、「他人のお墓」を立てたことは御先祖様が慈悲深い方だったからであり、良い御縁となる可能性も大いにあります。むしろ、誇りに思って良いと思いますよ。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
不安にかられ、レッテル貼りをしないよう心掛けて参ります。