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過去に犯した多くの過ちが頭を離れません

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有り難し有り難し 49

お忙しい中、申し訳ございません。初めて利用させて頂きます。
過去に自分が犯した過ちが朝も昼も夜も離れず、苦しいです。

私は過去、インターネットの匿名ツールを利用して、ネット上の知人に悪口(大変失礼な内容で、悪意の塊のようなメッセージ)を書きました。その知人に小さな不満があり、憂さ晴らしのような形で、軽い気持ちで書いたのです。一回ではありません。何回もです。表面上では仲良くして、裏では平気で傷つける。本当に、醜く卑劣な行為だったと深く後悔しております。過去の自分が恥ずかしくてなりません。

数年経った今、やっと謝罪することが出来ました。当たり前ですが、許してもらえませんでした。ショックだ、軽蔑すると言われました。私の悪事は他のネット上の知人たちにも知れ渡りました。人を無遠慮に深く傷つけたくせに、今までのうのうと生きていたのですから、私は一生この罪を背負って生きていかねばなりません。

毎日罪悪感に押しつぶされ、苦しててなりません。私に傷つけられた人は、もっと苦しく辛い思いを続けているのだから、当然の報いです。死ぬことが出来たらどれほど楽か、と思うこともあります。しかし、自分には社会的責任があり、それは叶いません。周囲の人は、私がどれだけ愚かで最低なことをした人間なのか知りません。それでも、笑顔で生きていかねばなりません。償いの気持ちを忘れず、善行を行わなくてはなりません。

これからは、絶対に同じ過ちを犯しません。しかし、傷つけた相手(絶縁しています)とは無関係の方々に善行を行うことで、償いになるのか不安です。

罪は他にもあります。過去の自分は最低です。自分が情けなくて仕方ないです。何も知らず、私に優しく接してくれている家族のみんなにも、本当に、本当に申し訳なくて。家族は全員、人間的にとても出来た人で尊敬しています。こんな私でごめんなさい。全然良い人じゃなくてごめんなさい。犯した罪の重さに気づくのが遅くてごめんなさい

たくさん謝ることで、「私は反省していますアピール」をしているのかもしれません。今日も、明日も、この先もずっと、たくさんの罪を背負って、なんとか生きていかねばなりません。縋れる場所が、こちらしかありません。どうか助けてください。許されるわけないと口では言っても、許しを求めているのかもしれません。ごめんなさい。

お読みくださりありがとうございました。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「悪意」の根本

こんにちは、初めまして。

私は、どんなご質問にも是々非々でストレートに自分の感想を書きます。
あなたのご質問の文章を読んで私が受けたのは、何と誠実で真面目な人なんだろうという印象です。と同時に、どうしようもない不安を抱えている、とも思いました。

ネット上での匿名の書き込みだったのでしょうから、知らんぷりしてその「知人」とリアルで交友を続けることも出来たはずです。しかし、それをしなかった。あなたの人柄がそうさせなかったのでしょう。これは、あなたの美徳だと思います。この件は、直接謝罪もしてますし、これ以上相手への「償い」を問う必要ないと思います。

しかし、問題はなぜあなたがそのような行動に走ったかです。

「小さな不満」を「憂さ晴らし」とはいえ、「一回ではありません。何回もです」という強い悪意を以て複数回試みる、というのはある程度の根深さがあると思います。悪意のある文章というのは、書いていて途中で辛くなって、送信をするまでいかないと想像するのです。でも、あなたは複数回それをなした。

私は、その行為自体の価値判断をするために言っているのではありません。

これは、私の推測になります。
あなたは、親しい人との関係に何らかの一線を感じているのではありませんか。
これは「知人」に限らず、「家族は全員、人間的にとても出来た人で尊敬しています。こんな私でごめんなさい」と、家族に対しても自分をどこか卑下するような表現をしているのが私には気になります。

心の底で、自分は周囲に本当は好かれていないかも、受け入れられていないかも、見捨てられるかもという不安に怯えている。友情、愛情が人間関係の前提になっていない。だからこそ、一度覚えた「小さな不満」を契機にして、一気に堰を切ったように友情に不信の声を上げて壊しに掛かる。ほら、やっぱり友情なんてないんだ、と。

あなたに必要なのは、「善行」とか「償い」ではないと思います。

自分は、無理をして何か立派なものにならなくても、そのままで受け入れられているんだ。損得、正邪を抜きにして友情ってあるんだ。「尊敬」とか卑下がなくても大切にされる、愛情ってあるんだという実感こそが、今のあなたに必要なのではないでしょうか。

まずは、力を抜いて現実を見回しましょう。
ただそこには、愛してくれている家族がいるはずです。

ご参考になれば
元気を出して

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有り難し
おきもち

浄土真宗本願寺派報恩寺住職(兵庫県三木市) 本願寺派布教使 元本願寺布教研究専従職員 元龍谷大学講師 元篤志面接委員(法務省管轄) 真宗学修士、心理学学士 Fmみっきい(地元ラジオ局)出演中 趣味:サックス 2019年末頃から回答しています
応談できる時間帯は、その日によって違いますのでお確かめ下さい。 月曜日〜金曜日(祝日除く)13時〜21時 土曜、日曜、祝日 18時〜21時 お盆(8月1日〜15日)、お彼岸は対応できません。

質問者からのお礼

釋様、初めまして。この度はご多忙な中、また多くの相談が寄せられている中、私の悩みを聞いてくださり、本当にありがとうございました。ご回答が早くて、とても驚きました。気が滅入るような、脈絡のない文章で申し訳ありません。

私が精神的に疲弊していると察し、気遣ってくださったのでしょうか。最初に、私への慰めの言葉(というと語弊があるかもしれませんが)が書いてあり、嬉しく思いました。言うまでもなく、「誠実で真面目な人」では無いのですが、それでもありがとうございました。

お恥ずかしい限りですが、何もかも釋様のおっしゃる通りです。自分には何の価値もないと卑屈になり、周りから見捨てられないよう、つまらない人間だと思われぬよう、いつも無理をして「良い人」ぶってしまいます。物事を損得勘定で見てしまいます。自分は何の取り柄もない、愚かな人間だと思って生きてきました。だから、外面だけは良いんです。

「力を抜いて」、これもよく言われる言葉です。釋様のように、周囲の人も私の弱さを見抜いているのでしょう。もう少し、周りを信じて生きてみようと思います。

それから、「元気を出して」というお言葉がすごく嬉しかったです。また卑屈な言葉になってしまいますが、こんな私でも元気を出して良いんだと励まされました。
大変丁寧なご回答を頂き、本当にありがとうございました。反省の気持ちは忘れず、元気出します。

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