hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去のネットでの言動の後悔について回答受付中

回答数回答 2
有り難し有り難し 4

質問失礼いたします。
私は過去に、あるネットのコミュニティで人を傷つけるような発言をしてしまいました。(調べたところ、誹謗中傷等ではないが、倫理的には問題あり)詳細は割愛させていただきますが、今考えるとどうしてこんなことを言ったのだろうと思います。
当時は想像力が欠けており、面白半分で言ってしまったのだと思います。
それから数年経ちましたが、最近になり、より一層罪悪感が湧きました。匿名化の高いコミュニティであったため、それを受け取った方がどのように感じ、傷ついたのか、今も傷を負っているのか、元気に暮らしているのかの詳細はわかりません。この、確認のできなさが、かなりしんどいです。
また、過去に動画投稿サービスでも、攻撃というより、一意見や、軽度の批判ではありましたが、相手の立場を考えない、場合によっては相手が傷ついてしまうような言葉をかけてしまいました。
いずれも、今となっては、相手の今の状態を確認することができません。
考え出したらきりがなく、やらないといけないことにも身が入りません。
よければ、お悩みに答えていただけると嬉しいです。

2025年7月20日 23:54

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

過去は脳内データ

仏教では無常・無我を説きます。
身体の細胞は新陳代謝で入れ替わり、心(思考や感情)は瞬間ごとに浮かんでは消えて変化しています。
なので、過去の自分と今の自分は本当は同一人物ではなく、記憶データと名前を相続しているけれど別人なのです。
つまり、自分というものは概念上の幻なのです。
そう考えると、過去の記憶データは過去の他人(あなたというキャラを操縦していた先輩)の経験した知識であり、今あなたを操縦している自分そのものではないのであり、過去の失敗について今のあなたが気に病む必要はないのです。
過去は過ぎ去りもうない。
未来は未だ来たらずまだない。
今できることをできる範囲でやれば合格人生だと開き直って、過去の失敗についての妄想雑念に時間を取られすぎないようにしましょう。
他人が傷ついたとしても、「傷つく」とは、その人の怒りの煩悩が起動したという現象であり、根本原因は相手側の煩悩(悟っていないこと)なので、あなたは、法令に違反する言動じゃないなら気にする必要はありません。

2025年7月21日 14:11
{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

身が入らない、というメリット

 これは仮説です。
 人間の行動には、必ずメリットがあると言います。メリットは大きく分けて3つ。
①何かが手に入る。
②何かをやらずに済む。
③注目を得る。
 ご飯を食べたり本を読むのは①ですね。相談もそうでしょう。③も結構あります。人を困らせたり、怒ってみせたり。
 ②はちょっと複雑です。「勉強しなきゃと思うけれど、何か気になって部屋の模様替えを始めてしまう」などが、それにあたります。
 過去にこだわることの無意味さ、仏教的解説は願誉上人がしてくださっていますから、その理屈で納得できるなら、読み返して身に引き当てましょう。
 ここでは、②を疑ってはどうでしょうか。「やらなきゃいけない、けれど嫌だなあ」と思っていることを避けるための反芻。冷静に考えれば、そして他人から見れば「そんな、どうしようもないでしょう」ということにのめり込むのは、②のメリットの為かも知れない。だとすれば、「何で僕は、これがやりたくないんだろう」という問題に取り組むことができます。言い換えれば「現在の問題に目を向ける」こと。こちらを考える方が、よほど建設的だとは、思いませんか?

2025年7月21日 23:35
{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

煩悩スッキリコラムまとめ