娘を心から愛せない
自分の生んだ子だから当たり前に愛せるというわけではありません。普通はそうあるべきだと思います。発達が遅いのかと思い、ゆっくりでいいと、宿題を忘れないように、人に迷惑かけないように、あれやこれやとやってきました。トライ&エラーで接してきました。私が主語になってるのはわかります。私がこれだけやった。ここまで頑張ってると。でも娘はすぐ忘れるし、指摘すると切れるし。優しく言っても拒否するし、小6で反抗期だとは思いますが、最近は何もかも拒否してふてくされて一時間ソファに寝てもう何もしないと言います。やってない宿題さえも手をつけません。その間私は何も言いませんが、平常心を保つのがしんどいし、同じ空間にいることで吐き気もします。昔から嫌なことがあると心の中で「死ね」という癖があります。まだ死ねという言葉がそんなに悪く扱われなかった頃にその言葉が染み付いたまま大人になってしまいました。死ねとかくたばれとか今では許されない言葉がどんどん浮かんできます。頭に浮かばせては、口に出しては、自分に向けられてると思えというのもわかります。そういう言葉を口にしたり思ったりするほど自分の心がすさんでいくのがわかりますが、どうしてもすぐに、ムカつくとか死ねとか思ってしまいます。ましてや自分の子どもにそんな言葉を思ったりするなんてありえないでしょうが、どうかしています。本当に娘がむかついてどうしようもありません。色々な記事で、放っておくことがうまくいくと目にします。放っておいても同じ空間にいる以上会話は持たなくてはなりませんし、やることをやらない娘に対して話題もないです。たわいもない話をするのもしんどいです。楽しい会話なんて思い浮かびません。母として失格です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
向かい合わない、という道を
お子様を愛するが故に、どうしても憎いという思い、
自分自身への不甲斐なさなどを感じてしまう、
或いはもっと子供に「愛されたい」とお感じになって
いるのではないか、そのように伺いました。
向かい合えば向かい合うほど、鏡の如く、
お子様が「あなた自身」つまり、「愛されなかった自分」に
映ってしまうのではないでしょうか。
この苦しみを本当に「解決」したいと思われてお出ででしたら、
向かい合わず、それぞれ正面を向いていく、つまり
あなたはあなたご自身を「磨く」ということに務める。
それがあなたにもお子様にとっても大切なスタンスになるものと
存じます。
なにを磨くでもいいのです。
料理でも、読書でも、スポーツでも、お仕事でも
旦那様ともお子様ともほかのご家族さまとも向き合わない、
あなたがあなたをまっすぐに歩くということに徹するのです。
無視しろ、ということではありません。
あなたの「人生」というものをお子様にお見せするということです。
その人生がどうしても頼りない、と思うのであれば、
つい先般教えていただいた言葉でありますが、マーフィーの法則で
有名なジョセフマーフィーの言葉を紹介いたします。
現実の自分よりも
理想の自分を愛しなさい。
そして理想の自分で
他人と接するべきです。
あなたが理想とする人に、あなたが役者さんになって、演じるのです。
もちろん、突然変えられるものではありません。
すこしずつでいいのです。
それでも昨日より、今日より、
歩みは樂になると、わたしは思うのです。
尚、これらは、おなじく子育てに悩むわたし自身に向けたものでもあります。
あなたの言葉が、わたしにも学びと救いをくださいました。
ありがとう御座いました。
あなたにさちあれ。ご家族みなさまに、さちあれ。