妻を亡くして立ち直れない自分
最愛の妻を亡くして、まもなく半年になろうといています。
現在は、うつ的になり心療内科に通院しています。
何をするにも億劫で、妻を思い出しては急に寂しくなり、涙がでます。どうしようもないのはわかってますが。
周囲は約半年にもなるので、忘れかけてきたりしていますが、やはり私にとっては、毎日、毎日が寂しく、つらく、苦しいです。立ち直れない自分はおかしいでしょうか。どうにも前に進めず、妻が使用していた物を見たり、テレビで家族で出かけた場所が映ると思い出して涙したり、気が沈んだりします。
どうにもこうにも、妻に会いたくて仕方ありません。早く妻のところに行きたいです。
乱文で申し訳ありません。hasunohaに相談し、助言を頂くと気が楽になります。
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何の力にもなれませんが
大変苦しい心内、お察しすると言うのも憚られます。さぞお辛いことでしょう。
人生のうちで最もストレスがかかることは、配偶者の死である、という統計があるくらいです。寂しい想いから立ち直れないということは決しておかしなことではありませんよ。まして、お話から察するに、奥様のことを本当に愛されていたんですね。尚更のことです。
慰めにもならないかもしれませんが、少しだけ。
我々の生きるこの世界を娑婆世界と申します。娑婆とは、忍土とも申します。即ち、苦しみを耐え忍びながら生きていく世界だということです。私の宗祖、日蓮聖人は「極楽百年の修行は穢土一日の功に及ばず」と申され、極楽で百年生きるよりも娑婆世界で一日生きることの方が大変であると仰られております。それだけ、この世界で生きるというのは容易ではないのです。お釈迦様は、四苦八苦の中に、愛別離苦という苦しみを上げられて、愛する者との別れ、という苦しみがあるとされてます。
これら、苦しみから離れる為に仏教はあります。
どうすれば良いか。
執着から離れるのです。心の中で燃え盛る、哀しみという煩悩を消し去るのです。人は誰しも魂の修行をするために生まれてきます。その修行法は人それぞれであります。あなたにとっての修行は、奥様を亡くされた悲しみ苦しみと向き合って、精一杯生きることが修行なのかもしれません。
人生とは平等ではありません。しかし、仏様の教えの前では、どんな者も平等です。
あなた様の悲哀を消し去る力は私にはございません。もっと言えば、誰にも出来ないのです。
一度、お寺(菩提寺でもどこでも構いません)に伺ってみるのはどうでしょう。事情を説明して、お堂に上がらせて頂いてみて下さい。
仏様の祀られている前に座り、お顔をよくよくご覧になられて下さい。少しでも心が安らぐかもしれません。
何も力になれず、誠に申し訳ありません。
どうか、奥様とまた会える時まで、何とか生きていかれて下さい。
拝
質問者からのお礼
ご丁寧なご回答ありがとうございました。
愛別離苦。読んで字のごとく、本当に愛する者との別れは苦しく、寂しく、悲しいものです。精一杯生きるのが修行ですね。気持ちが楽になりました。ありがとうございました。