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安らかに生きていたい

回答数回答 1
有り難し有り難し 11

こんにちは。よろしくお願い致します。

私は幼少期から周りの期待に応えるべく、心身削って勉強し、親の期待に応えるべく国家試験に挑戦してきました。
しかし、20代で重度の鬱病になり断念。
数年の治療のあと寛解して、結婚し子供をもうけて今は専業主婦です。

少し前に親友が自殺してしまったことで死を身近に感じたり、自分も若い頃のストレスのせいか、色々な体の病気になり、長生きはできないのかな…と不安に思うことが多いです。

若い頃は使命に燃えていましたが、今、やりたいことも目標なく、ただ家族が気持ちよく暮らせるように家のことをするだけです。

家族のことは大切にしているつもりです。

しかし、多分、今重い病気になり死を迎えた場合、自分の人生に虚しさを感じたまま後悔したまま死んでいくのかなと思います。
それが怖いです。

色々なものを犠牲にしたのに何もなし得なかった私の人生を、死ぬ間際に後悔しないようにするために、私は何をしたらよいのでしょうか。

どう生きたら良いでしょうか。

漠然とした悩みで申し訳ありません。
お導きいただけたら幸いです。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

培った経験は内へと内なる心に蓄積されています。

拝読させていただきました。

今、おかれている心の状態のくれよさんは、過去の経験と未来を少し考え過ぎなところが強いとも感じます。

人の苦しみは他人が代わってくれることもなく、自分は自分としっかり捉えることが大切です。

周囲や友人などの死を身近で感じてしまうことで、死に対して不安が大きくなることが少なくありません。

家庭がある。子どもがいる。それだけでもう十分なのです。

自分のため、他人のため、未来のため、死のため、などを今は考えることで、くれよさん自身の本当に見つけたい自分を見つめることが、見えづらくなります。

只、今をしっかり生きるといったことを常にすることです。
仏教では諸行無常とよくいいます。捉え方が間違うと虚しく捉える方々と多いものです。

私たちも出掛けることで、事故に遭遇したり、誰もが死は背中合わせなのです。ですから、今日が最後の一日と思って過ごしていくことが、大切です。今日最後と思いながら過ごすときに、子どもを叱るとき旦那に接するとき、この言葉が今日最後の言葉と思って掛ける言葉は後悔しないかなどと、自分の言動に「今」を感じながら生きていくことで、未来の不安や過去に捉われることも減少していくことと思います。

人間として生きていることはとてと有り難いという小欲知足を改めて知ることで、今おかれている環境の中の人生はとても豊かであると感じてみてください。

必ず、心がよくなっていきます。人生において、悩みというものはつきものです。今の悩みもこれから、人生を通じて明るくしていくための宿題と捉えてください。

合掌

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質問者からのお礼

法源様
私の漠然とした不安に、真剣に向き合ってお言葉をいただき、本当にありがとうございます。
いただいたお言葉をメモにし、不安になった時に読み返しています。小欲知足を心に留め置き、今あるものに感謝して生きていこうと思います。本当にありがとうございました。

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