地獄、輪廻転生について
長文失礼します。Youtubeで地獄という動画を見て個人的にどうかなと思ったので質問させてもらいます。
よく自殺したら地獄へ行く。両親より先に死んだらさいの河原で石を積みあげ、無益な殺生や戦争などで人を殺したりするとそれに対応する地獄へ行き罪を償うと拝見しました。また転生の際は前世の行いによって生まれ変わる条件や生物までもが決められると知りました。欲深く生きていると豚、嫉妬深いと蛇といった感じでした。私にはそれが理解出来ません。
皆仕事や受験で他人を蹴落として上に上にと高みを目指し時には他人を恨みそして欲望の限りお金を儲ける。無益な殺生であれば蚊やゴキブリといった虫を誰もが殺すし戦争であればお国の為にと戦った兵士が何故地獄へ行くのか。自殺した人が地獄へ行くのもどうかと思います。現世でいじめやパワハラ、生きにくい世の中に絶望してその人にとっては楽になりたい、この苦しさから逃げたい、生きている方が地獄だという思いで自殺すると思います。なのに死んでからも地獄は理不尽ではないでしょうか?両親より先に死ぬのにも病気や事故、天災といった理由でもさいの河原で石を積みそして地獄へ行くのはおかしいと私は考えています。
地獄、あの世も時代と共に変化する必要があるのではないでしょうか?自殺した人で地獄へ行くのは殺人などの重い罪を償わず逃げる為に自殺した人は地獄へ、現世で苦労した末に自殺した人は次の人生では幸せな人生を送れるようにするべきです。また仏様はその人が越えられない壁は人生に作らないと聞きましたがその人が壁を越える事ができなかった時のことは考えているのでしょうか?
是非、お坊さんの意見を聞きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
一つの見方として。
にきたくさんのご質問には、様々な角度からのお答えがあると思いますので、私は一個人としてお話させて頂きます。
まず、死んでから地獄へ行くというよりもこの世ですでに体験しているということです。そして、地獄というのはどんな世界を言うのかです。
仏教には十界という十種類の世界が分かりやすく説いてあります。
それは、地獄(界)餓鬼(界)畜生(界)修羅(界)人間(界)天上(界)声聞(界)縁覚(界)菩薩(界)佛(界)の十の世界です。
それは心(思い)の世界にも通じていて、地獄なら怒り、餓鬼は貪欲(欲張り)、畜生は愚痴(おろか)、修羅は驕慢(おごりたかぶる心)、人間は平静、天上は快楽、声聞は向上心、縁覚は悟りの心、諦めの心、菩薩は道義を重ずる心、仏は、憐みの心となります。
それらは瞬間に心に沸き起こり、それらが現実化するとそのような世界になるということです。
ゆえに、すでに日々の生活の中ですべてを経験していることになります。理想なのは菩薩や仏の心ですが、行動面では違ってきたり、又、行動はそうであっても心が違うということもあります。
亡くなってから、イメージするような地獄のような世界へ行くというのは、ある一面だけを捉えてジャジしているだけで、人生というものはもっと複雑あり、親子、夫婦、兄弟、そして多くの人との関わり合いです。
ゆえに単純に評価したり決めつけたりするのは、あまり意味のないことであると思います。
そして、未だ、生まれてくる前のこと、死んだ後のことは解明されていません。もちろんありますが、私たちには忘れるようになっているのだと思います。何故なら、その方が、この世に誕生し、様々なことを体験するにはいいからです。
まだまだ他の方々のお話もお聞きください。
仏様は、苦しみを与えたりしない
仏様は、悩み苦しみを消したり制御したりするコツを教えてくれる師匠です。
苦しみを与えたり創造したりはしません。
仏様が私たちを輪廻転生させているのでもありません。
私たちの心の煩悩や間違った見解が、間違った行動を起こさせ、間違った行動(業)に起因して苦しみの輪廻転生を繰り返してしまうのです。
まさに自業自得ですね。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。もう現世で地獄を経験しているというご意見成る程と思いました。天国と思える様なところでも感じ私の捉え方というか感じ方、考え方では地獄にもなりえるし天国にもなりえるなと感じました。
貴重なご意見本当にありがとうございます。
この地獄を楽しめる心意気が大切なのかな~ふと思いました。