私には何もないです
怠け者のくせに変に完璧主義で大きな夢を最初から持ってしまい、現実とのギャップに勝手に萎えてしまいます。
学生時代何かに熱中、努力したこともないのに自分が大人になってから自分のキャパより大きな夢、理想が頭にチラついて、惰性で生きてるのが許せないと思うし、今からやったところで大した成果もなく意味をなさずに終わるだろうと自暴自棄になり情緒が安定しません。
なぜ行動してこなかったのか考えたとき親とのことが思い浮かびました。
昔はたくさんの習い事をし、興味があることは一通りしました。どうしても自信のもてる何かが欲しくて色んなことに手を出してはやめてきました。父親が美味しいところだけ味わいたい人だったので、やりたいと言えば優しい親らしくやらせてくれました。習い事をやる中で、あまり良くない先生に当たってしまったことがありました。続けるのが辛くてどうしたらいいのか母親に相談したところ、「お母さんにだってわからないよ。あんたがやりたいって言ったんでしょ」と跳ね除けられてしまいました。私はただ、母にどうにかして欲しい訳じゃなくて私がどう動けばいいのかを一緒に悩んでほしいだけでした。当時小さかったので不安もあり、少し頼りたかったんです。そのときから、自分ひとりで出来ないことはしないでおこうと思いました。傷ついたらひとりじゃ立ち直れないからやめておこう。それがしだいに怒られたくない、否定されたくない、完璧でいたいけど出来なかったら傷つくから努力しきれない、他人の目が気になって人に意見が言えないと思うようになりました。父親が人前で私の悪口を言うような人でもあったので余計に親を信じられなくなり、色んなことから自分に自信がありません。自分ひとりでだした答えは甘すぎるとことごとく却下するくせに、相談しても「お母さんにはわからない」の一点張りです。
相談を持ちかけると母は決まって病院行く?と聞いてくるので、ネットで調べるうちに、HSP、愛着障害、神経症、ACなどたくさんの病名を見つけました。当てはまることが多く、もしかしたらグレーゾーンにいるかもしれないと話しました。今度こそ聞いてもらえると思っていたのに、「病気な人は○○はしない」「そんなの誰にでも当てはまる」と相手にしてもらえませんでした。
助けてほしいけど誰も聞いてくれないから、この先ひとりでずっと悩み続けると思うといっそ死んでしまいたいです。
お坊さんからの回答 2件
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何も無くて、当たり前。これからの人生で築いていきましょう。
ますみさんは真面目な方ですね。真面目だけれど、行動力・実行力が伴わない点を自覚され、そういう自分に苦しんでおられるように感じます。
「何もないです。」と書かれていますが、20歳前後で「自分にはこれがある。」と自信を持って言える方は極少数の方だと思います。例えば、バレエやピアノを5歳くらいから習っていて、十代でコンクールで賞を取る人は居ますね。スポーツでも中学高校の全国大会で結果を出し、年代別の日本代表になる人は居ます。勉強やE-SPORTで十代で結果を出す方も居ます。でも、大多数はますみさん同様に「自分には何もないです。」もしくは其れに近い感情で日々生きていると思います。
私は一年浪人して大学の法学部に入って、すぐ20歳でした。まぐれで合格したまでは良かったけど、大学の講義になじむまで時間がかかりました。昔から注意力が散漫で、エンジンがかかるのが遅い人間でした。(でも、好きなことには一生懸命勉強したりする面はありました。)おそらく今ならADHDと診断されたかもしれません。その当時の自分を振り返ってみると、私も「自分には何も無いです。」だったと思います。無いものは無いんです。これからの人生で学び磨いて築き上げていくしかないと思います。ますみさんも今の「何もない自分」が嫌なら、「何か出来る自分」に変えていきましょう。そのための取組をしていきましょう。会社だったら短期目標と中長期目標を策定しますよね。
短期目標 - 勉強の成績向上、
終活のためのアイテムを何か手に入れよう。
中長期目標- 例えば「プレゼンテーション能力を高める」
「一生楽しめる趣味をみつける」
「料理・菓子作りのレシピを増やす」など
私は、山岳信仰の研究をライフワークとして細々と続けています。住職と言う立場上、漢詩の勉強は不可欠ですが、もう少し本格的に勉強をし直そうと思ってます。
質問文を呼んで、我々なりに質問者の気持ちに寄り添って回答するよう努めております。でも、時には「回答がズレてます。」という感想をいただくことがあります。回答のピントが合っていればいいんですが、「ズレている」「納得できない」場合は、感想をお寄せください。
何をしたいか考えてみましょう
子どもの頃は親に影響されることが大きいですが、二十歳を過ぎられた今は、親に頼らず進むことが可能です。親は選べませんから、あすみさんの思うような親でなくても仕方がありません。子どもの頃の思い出は深く心に残りますが、過去には帰れません。これからどうしていくことがいいのかが重要です。
こうしてサイトに相談も出来ますし、最寄りの市町村の窓口では弁護士や社会福祉士などの専門的な相談から日常の様々な問題のために相談出来る窓口も用意されています。一人で悩むことはありません。
大きな夢を持ち過ぎて現実とのギャップがあり過ぎるとのことですが、大きな夢を持つことは悪いことではないと思います。未来に大きな夢を描きつつ、近くにその夢に進むための小さなステップを用意し、クリアすることで、夢に近づいていくことが出来るからです。
あすみさんが自暴自棄になっている時も、死にたい時もいのちは輝いています。私がこんな唐突なことを言ってもそうは思えないでしょう。でも、あすみさんは唯一誰にもとって代わることが出来ない、あすみさんでなければ担えない、尊い存在だからです。尊い自分と分かるには、やるべきことと向かい合う必要があります。まずは、自分と向き合い何をすべきかじっくり考えてみましょう。