この記事を見ていて悲しくなりました。
私も子供を育てています。この下の記事を見ていてすごく悲しくなりました。
ただ、私もベビーサークルの中で安全を確保した上で子供が寝ているときにちょっとゴミ捨てに行くこともあります。それとは違うのかもしれませんが、何日も親のいない中で、この事件の子はどう思っていたんだろうって思ってしまいます。
でも、そうなると、私の子供を置いてゴミ捨てもダメなのかなと思ってしまいます。
かたときも離れちゃいけないと思う気持ちと家事をこなさなきゃいけない気持ちをどういう風に整理したらいいでしょうか?
女性、男性両方のお坊さんの御意見をお聞きしたいです。
以下、私が悲しくなった記事の抜粋です。
自宅マンションで6月に女児(3)が8日間一人きりで放置され死亡した事件で、母親が、事件1カ月前の5月も3日間、女児を放置し旅行に出掛けていたとみられることが8日、捜査関係者への取材で判明した。女児の死亡前、交際相手の男性と会うため鹿児島県に旅行したが、5月も同県で同じ男性と会っていたという。警視庁捜査1課は、日常的な育児放棄(ネグレクト)があった可能性があるとみている。
容疑者は6月13日までの8日間、同県に出掛けて自宅マンションに長女を放置し、脱水症状と飢餓状態にして死亡させた疑いがある。捜査関係者によると、容疑者はこの間と同様、5月上旬ごろにも女児を放置して同県に旅行をしていたとみられる。容疑を認め、「留守にしても大丈夫で、死ぬとは思わなかった」と供述しているという。容疑者は居酒屋で働きながら一人で女児を育てていた。出勤時は女児を自宅に残していたが、仕事後にパチンコに行くなどして帰宅が遅くなることもあったという。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
考えさせられますね。
私もこの記事を読んで、心を痛めました。その子のことを思うと、さぞ淋しく悲しく、空腹で泣くことさえもできない。わずか3歳の子です。一番母親を頼りにし、愛情を求める時です。どんな仕打ちよりも辛く、一人で亡くなっていったことを考えるだけで涙がでます。
私もそうですが、同じような孫や子供を持つ人にとっては、とても許せない理解できない事件です。多くの人たちはショックを受けていると思います。
この非情な母親のことをどんな表現しても、その子は戻ってきません。ゆえに、その報いは自業自得、因果応報ですから、それなりにこれからの人生で背負っていくしかありません。母親のことはこれ以上は言うことはありません。
ゆいさんも、子育てをされていることでオーバーラップされ色々考えてしまうかもしれません。それは仕方ないことです。
しかし、だからと言って行動をあまりにも制限したり、過剰反応をすることは、逆効果になります。ゆいさんの育児の方法を続けてください。
私ごとですが、近所に娘とその子供たち(2歳と4ヶ月)がいます。昼間は夫は仕事ですが、時々、娘の反応をみながら実家へ呼びます。それはやはり、子育ての中で限界やストレスの解放を行うためです。特に何かをするのではありませんが、気分転換にはなっていると思います。
もちろん、我々の出来る範囲、出来る間のことですが、今回の事件をみれば尚更協力すべきかと思いました。
ゆいさんの環境は分かりませんが、今回のような事件は特殊です。それぞれに子育てをしていますから、それぞれの方針もあると思います。どの方法が正しいか間違っているのは分かりませんが、常に愛情を持って育てていくしかありません。
それは常識ではなく良識で判断するしかありません。
常に、ゆいさんご自身も家族の生活を円滑にこなしていかねばなりません、大変かと思いますが、最後はここ一番という時、私は「母親である!」と対処してください。
その時その時で考えて行動する
ゆいさんの投稿を読み、新米ママだった時の記憶が甦りました。友人に届け物で訪問し、良く留守なので置いて帰るはずが、たまたまご主人も在宅で、玄関先で話して車に戻ると、チャイルドシートに乗せていた娘が汗だくになっていました。私のちょっとだからが起こした苦い体験です。
ごみ捨てのちょっとの時間も、昨日は大丈夫でも、今日大丈夫と言う保障はありません。月齢や年齢で子どもは刻々と成長していきます。ハイハイしてどこでも行けるようになり、何でも口に入れてしまう時は、ちょっとのすきに誤飲してしまうことも考えられます。いつも細心の注意を払い行動するしかありません。
歎異抄に「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」と言われる一節があります。善人だって極楽往生できるのに、どうして悪人が出来ないことがありましょうか、という意味です。ゆいさんのように他人の事件を我がことのように悲しみ、自分を検証できる人を悪人と言うのだと思います。悪人と言われて心外と思われるかも知れませんが、ここで言う悪人とは、自分の行動が危ういことを自覚して、他人の行動を自分のことのように思い、心を痛めて、自分の行動に照らし合わせて悩む人のことです。
私たちは仏さまではありませんから、どんなに大事な我が子でも始終ついてみ見ている訳にはいきません。それに、自分を大事のしなければ、我が子であっても大事には出来ません。その時その時、何を優先するべきか、良く考えて行動していくしかないのではないでしょうか。
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
近くに両親がいると心強いんだろうなぁと思うことがあります。ただ我が家は、転勤族なので親の力を借りることは出来ないので、できる範囲で子育て頑張ります。
また相談にのってください。