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親孝行

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有り難し有り難し 4

私の両親は、70代半ばで健在です。

よく祖母が

いつまでもあると思うな親と金

と口にしていました。

いて当然、やってもらって当然、身の回りのことが両親によって当然のごとくなされてきました。

しかしながら、親への感謝の気持ちを忘れて、いろいろやってもらっているのに、強い口調であたったりして、結果的に悲しい思いや寂しい思いにさせてしまっているのかなぁ。

この先、いつどこでどうなるか分からない人生で祖母の言葉にあるように、親孝行や感謝の気持ちを伝えたくても、もしもの時が頭をよぎる今日この頃です。

恥ずかしいとか照れくさいとかがあり、急に妙な行動をすれば不信に感じ取られてしまうから、自然体で両親と接して親孝行や感謝の気持ちを伝えるにはどうしたらよろしいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

一緒に過ごせばいいのです

一緒に過ごして酒でも飲みましょう。
酒は悪いもんじゃァないです。
誰と飲むか、です。ヒック。
酒が飲めない?じゃ、とにかく一緒に過ごして旅行でも言ったらどうですか?父の日とか母の日プレゼント名目でボーンと行ってらっしゃい見てらっしゃい、世界の広さを。
あ、私?わたしはのん兵衛の丹下団平の隠し孫の丹下かくげんともうします。
じいちゃんが残してくれた「あしたのために」語録から引用いたします。
「いつまでもあると思うな髪と健康」あしたのためにその9989931
段平じいさんは、矢吹さんとかいう可愛がっていたスネ夫ヘアのボクサーが世界チャンプの古瀬・メンドクサーとかいう人と戦ってやぶれて一緒に世俗の炎が燃え尽きて真っ白な灰になっちゃったとです。それ以来、矢吹さんの菩提を弔うために出家して丹下断病と名乗り、心の病を断つんだ、断つんだと、山にこもってレンコしていました。その甲斐あってか悟りを開いて、出山して涙橋を反対側から渡ってリングサイドから衆生済度の旅に出たということです。先祖に丹下左膳とかいう人もいまして、その人も片手と片足片目を失ったそうです。ハンディキャップを背負いながらも剣術に精進して沢山人を殺めて以来反省して丹下坐禅と名乗ったそうです。その末裔がジョー・矢吹のセコンド丹下DP(段平)であることはいうまでもアラジンです。そして私もその志を受け継いで、このサイトで心のセコンドとして人の心を立たせ、心の病を断つんだ、と応援しています。
思い切って奮発しましょうね。え?勿体無い?親孝行の為には断つんだ私情ー。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ありがとうございます。
今までは一緒に暮らしていたのですが、結婚して独立してからは一緒に過ごす時間をなかなか持てず、タイミングを逃していたのかと。。

産みの親は世界を探しても一組しかいないので、きっかけをつくって旅行なり食事なりして、楽しい時間を過ごしたいと思います。

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