自分の人生を自分で決められません
私は現在大学院二年です。アニメーション業界に入りたく就活をしているのですが、自分の選択に自信を持てません。
私はこれまでデザイン分野の勉強をしてきました。アニメーション業界に直接つながる学びではないため、職種選びなどを工夫しなければいけないのは分かっているのですが、何よりも苦痛なのは、そのことを周囲の人に説明できないことです。
私はこれまで、「自分はデザインを学んでいるのだからデザイナーになるんだ」という態度で振る舞ってきました。自主制作にも励み、コンペティションで受賞もしました。しかし、ここにきてそれらが全部友人や先生、家族に見栄をはるための下らない努力だったと感じるようになりました。
思えば私は自分の人生で自身の本当の欲求に向き合うことを避けてきました。周りの目線を気にするあまり、自分を鞭打って望まない方向に進んできました。コロナ で家に引き籠るようになり、自分の将来について考えていると、大学に入る前に抱いていた夢を思い出しました。それがアニメーション制作に関わることだったのです。私は大好きなアニメーション映画がいくつかあり、子供の頃からそれらの作品に勇気付けられてきました。
しかし、そんなこと、誰かに説明できるものではありません。自分の心の歪みが生んだ矛盾に共感してもらえるとは思わないからです。突拍子もないことを言い出した自分に困惑してしまうでしょう。しかし、身近な友人や両親など、どうしても話をしなければならない人は一定数います。それが辛いのです。
また、生きていくことが自分の夢を叶えることばかりではないとも思います。私はデザインについて学んできたのだから、アニメーション業界など入らずとも、その技術で社会なり人のために仕事をしていけばいいのかも知れません。
しかし、自分自身の身勝手な欲求にすら本気で向き合えなかった人間が、これから先誰かのために生きていけるとも思えません。どこかで後悔に飲まれて自滅してしまうのではないでしょうか。
努力してこなかった夢と、嘘のように感じられる学びの間で板挟みになっています。ストレスのせいか、ここ最近は昼夜逆転で不摂生が続き辛いです。私が自身の将来を、身勝手な欲求にまかせて決めることは正しいことなのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
思い立ったら吉日です。他の目など気にする必要なんてこれっぽっちもありません。周りの人に説明なんてしなくても、貴方がそれを選択したのなら、周りはそういうものだと思ってくれます。そして貴方に迷いがなければ、必ず家族も含め、周りもその選択を喜んでくれるものです。
それでも他者に対して言い訳が必要ならば、自分の好きなアニメの道を歩むため、あえて引き出しを広げるためにデザインを学んだんだとでも言っておけば良いでしょう。ただこれで消耗することは得策ではありません。そんな人へ言い訳なんてする必要は本来これっぽっちもありません。
あと、今まで学んできたもので、関係ないもの、身についていないもの、役に立たないものなど一つもありませんよ。ご自身で無駄だと切り捨てないかぎり、人生でどんな選択をしたにせよ、分野を問わず、過去に学んだものは、必ず役に立つものです。
ですので、迷わず行きたい道を堂々と進んでください。
人生は一回 明日死ぬこともある
エニムさんこんばんは。
進路に悩まれてるんですね。私はデザインする人はコモディティ化していると思います。その進路に進んでもエニムさんの思っている仕事が出来ないかもしれません。それならばデザインができるアニメが制作がすることが出来れば活躍する場も多いのではないでしょうか?
人間は明日死ぬかのように生きろという言葉があります。人生は一度です。是非あなたの思う道に進むことが大事だと思います。
質問者からのお礼
薮本正啓さま
「人間は明日死ぬかのように生きろ」との言葉に考えさせられました。当たり前のように生きていましたが、その心がけひとつで勇気が湧いてくる気がします。コモディティ化についても、新しい知識を得ることができました。心強いお言葉とアドバイスありがとうございます。
持斎さま
人の目を気にするあまり、迷いを生んでいたようです。私は私の信じる道を歩いて行きたいです。そのためにも自分の考えを大切にし、言い訳など必要としない振る舞いを心がけていきます。「思い立ったら吉日」ですね。がんばります。ありがとうごいざます。