罪悪感
最近、とても悩んでることがあります。
それは、自分が今までやってきた悪いことを思い出し、罪悪感でいっぱいになってしまうことです。
私は、部活の後輩を自殺で亡くしました。
原因は複数あるのかもしれませんが、彼女は部活での人間関係に悩んでいました。
私は、上に立つ立場だったし、唯一地元が同じ子だったので、どうにか解決させてあげようと努力したつもりでしたが、
結局何の役にも立っていなかったのかもしれません。
むしろ追い詰めていたのではないかとも思います。
努力したつもりになって、自分は何かしら手を差し伸べたと、
自分のせいではないと、自分の行いを正当化しようとしている気がするのです。
彼女のご家族のことを考えると、どうしていいかわからなくなってしまう時があります。
でも、こんな自分の悩みは、彼女に比べたら、大したことないです。
彼女は自ら死を選びました。
私は臆病者なのでそんなことはできません。
彼女を救えなかった分、この罪悪感は一生背負っていかなければならない思っています。
他にも、誰かを傷つけたり、悪いことをいっぱいしてきました。
でも過去に戻れるわけじゃないし、どうしようもないことだと分かっています。
罪悪感から逃れたい。でも自分がしてきた悪いことへの罰だから、逃れてはいけないのではないか。
どうか回答お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
あなたにしか出来ないことがある。
こんにちは。
後輩を自死で亡くしてしまったこと本当におつらいですよね。
何か原因が自分にあるのではないか、そう考え出すと罪悪感で押しつぶされそうになるお気持ちが痛いほど伝わってきます。
私も学生時代に友人を自死で亡くしました。
お坊さんである私を頼って来たにもかかわらず死なせてしまったこと悔やんでも悔やみきれませんでした。
救いの手を求めてきてるのがわかってて、必死で手を伸ばしたつもりでしたが彼女には届かなかったんです。
僧侶とは何のためにいる?
仏教なんて何の力もないではないか?
ずっと自問自答でした。
13年前のお話です。
私はその13年間で徹底的に自殺ということについて関わってきました。
その中で、13年前に私が彼女にしてあげたことがただの押しつけであったことに気づきました。
言葉ではなく本当の意味での「寄り添い」ということも学びました。
恥ずかしながら彼女の死が無ければ気づかなかったことばかりです。。。
今は「僧侶」だからこそ出来ることを探して彼女の死を背負って生きています。
私のお話ばかりで申し訳ありません。
どうか忘れないでください。
後輩の死は、とても辛いことだったと思います。
でもどうか忘れないでください。その後輩の子が生きていたということを。
あなたと知り合って、しばらくは同じ時間を生きていたことを。
いつの日か、その子のご両親に「何もしてあげられませんでしたが、友達でした」
と伝えることができたら、きっとご両親は喜ばれるでしょう。
親が、子どもの死を受け入れるには、相当の時間が必要です。子供のためには鬼になることもあります。
ですから、亡くなった子のご両親と会うことは、勇気とタイミングが必要ですが。
同じように、自分の身近な出来事には、罪の意識や責任を感じることも多いでしょう。
それは大切なことです。
ただし、足かせのようには思わないでください。自分への宿題くらいに思って、あなた自身の人生の中で
その宿題の答えをゆっくりと模索してみてはどうですか。。
質問者からのお礼
関本さん
回答ありがとうございました。
彼女の死で、失ったものは大きいですが、考えさせられることもありました。
実は、私は、教職の道に進もうと思っています。
これから彼女のような子を1人も出さないために。
それが、私にしか出来ないことだと思います。
指月さん
回答ありがとうございました。
罪悪感を感じること、悪いことではないんですね。
いつか答えが見つけられるように、
これから彼女の分まで生きようと思います。
ありがとうございました。