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過去の過ちの罪悪感で苦しいです回答受付中

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過去に自分がした過ちの罪悪感で苦しくて押しつぶされそうです。

今は深く反省し、2度と同じことを繰り返さないよう生活しています。
でも親や友人と関わるたびに、「私はあんなことをしたのに優しくしてくれるなんて」と罪悪感で苦しくなってしまいます。
私の友人や両親、恩師はとても優しくて温かい人達です。今でも私を助けてくれます。ですがそれは私の過ちを知らないからなのです。知ったら絶対軽蔑されます。それが怖くてくるしくて、もうどうしたらいいのか分かりません。
私は穢らわしい人間なのです。そんな優しい人達とかかわってはいけないのです。涙が出てきます。

この気持ちと向き合っていくには、どうしたらいいでしょうか。アドバイスが欲しいです。

2025年9月2日 22:42

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お互い様、同じ凡夫です。

 こんばんは。夜になったというのに暑い日が続きますね。
 まず、hasunohaには#過去の罪悪感 というカテゴリもありますので、良かったらそちらも読んでみる事をお勧めします。
 さて、過去の失敗や間違いは、幸か不幸かどなたにもあります。私にも。そして、多分あなたと同じように、それを忘れることもできず、「自分は悪い人間なのに」と思いながら生きています。もちろん、一瞬たりとも忘れない、というのではありませんが、ふとした時に思い出され、あぁ、もう2度とあんなことはするまい、と心を新たにしています。
 そうやって私たちは、この世でのなさざるべき事を学びながら生きています。この「至らない自分の自覚」を、凡夫と呼びます。
「あの事を知ったら、きっと軽蔑される」との恐れ、だから私もよく分かりますし、もしそれが白日のもとに晒されたなら、潔く謝るしかないと思っています。
 ただ、ある意味有難いことは、それが皆お互い様だということ。「俺は悪い奴なんだから、いっそのこと思いっきり悪事を働いてやれ」と思っているならともかく、反省し生活の中で避けよう抑えようとしているならば、それでまずは充分良くやっていると思います。
 それはつまり…他人の欠点や間違いにも、ある程度は寛容でいなければ、という他者への目線にも変化します。年齢を重ね経験豊富な人ほど、この寛容さを理解し保っていると思います。
 全ての他人の過ちを見過ごせ、というのではありません。それを見つけた時は、静かに指摘し本人の判断を待つ。ひとが成長することを願って、です。
「ごめんなさい」というのは何歳になっても使える、素晴らしく有難い言葉だと思います。それは人間が成長する、という願いが言葉になったものだからです。
 そして許すとは、自分の不利や理不尽を知りつつ引き受けること。ここにも持ちつ持たれつがあります。人間の持つ余裕が、ここに現れます。
 願わくば良いことをして生きられますように。それは自分も大切な人も、です。お互いの至らなさを知り(或いは感じ)つつ、許しあう。それが凡夫同士の生きる術であると思います。

2025年9月2日 23:10
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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

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