hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

過去の過ちの罪悪感で苦しいです

回答数回答 4
有り難し有り難し 40

過去に自分がした過ちの罪悪感で苦しくて押しつぶされそうです。

今は深く反省し、2度と同じことを繰り返さないよう生活しています。
でも親や友人と関わるたびに、「私はあんなことをしたのに優しくしてくれるなんて」と罪悪感で苦しくなってしまいます。
私の友人や両親、恩師はとても優しくて温かい人達です。今でも私を助けてくれます。ですがそれは私の過ちを知らないからなのです。知ったら絶対軽蔑されます。それが怖くてくるしくて、もうどうしたらいいのか分かりません。
私は穢らわしい人間なのです。そんな優しい人達とかかわってはいけないのです。涙が出てきます。

この気持ちと向き合っていくには、どうしたらいいでしょうか。アドバイスが欲しいです。

2025年9月2日 22:42

この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

お互い様、同じ凡夫です。

 こんばんは。夜になったというのに暑い日が続きますね。
 まず、hasunohaには#過去の罪悪感 というカテゴリもありますので、良かったらそちらも読んでみる事をお勧めします。
 さて、過去の失敗や間違いは、幸か不幸かどなたにもあります。私にも。そして、多分あなたと同じように、それを忘れることもできず、「自分は悪い人間なのに」と思いながら生きています。もちろん、一瞬たりとも忘れない、というのではありませんが、ふとした時に思い出され、あぁ、もう2度とあんなことはするまい、と心を新たにしています。
 そうやって私たちは、この世でのなさざるべき事を学びながら生きています。この「至らない自分の自覚」を、凡夫と呼びます。
「あの事を知ったら、きっと軽蔑される」との恐れ、だから私もよく分かりますし、もしそれが白日のもとに晒されたなら、潔く謝るしかないと思っています。
 ただ、ある意味有難いことは、それが皆お互い様だということ。「俺は悪い奴なんだから、いっそのこと思いっきり悪事を働いてやれ」と思っているならともかく、反省し生活の中で避けよう抑えようとしているならば、それでまずは充分良くやっていると思います。
 それはつまり…他人の欠点や間違いにも、ある程度は寛容でいなければ、という他者への目線にも変化します。年齢を重ね経験豊富な人ほど、この寛容さを理解し保っていると思います。
 全ての他人の過ちを見過ごせ、というのではありません。それを見つけた時は、静かに指摘し本人の判断を待つ。ひとが成長することを願って、です。
「ごめんなさい」というのは何歳になっても使える、素晴らしく有難い言葉だと思います。それは人間が成長する、という願いが言葉になったものだからです。
 そして許すとは、自分の不利や理不尽を知りつつ引き受けること。ここにも持ちつ持たれつがあります。人間の持つ余裕が、ここに現れます。
 願わくば良いことをして生きられますように。それは自分も大切な人も、です。お互いの至らなさを知り(或いは感じ)つつ、許しあう。それが凡夫同士の生きる術であると思います。

2025年9月2日 23:10
{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

過去の過ちと向き合う心の作法

ご相談を読ませていただきました。深い罪悪感に押しつぶされそうなほど苦しんでおられるお気持ち、お察しいたします。人は誰しも間違いを犯しますが、そこからどう生きるかが本当の意味での価値になります。

・罪悪感が生まれる理由
仏教では「過去はすでに流れ去り、今この瞬間しか存在しない」と説かれます。しかし、私たちはどうしても「過去にしたこと」に心を縛られます。優しい人たちに触れるたびに「自分はその資格がない」と思ってしまうのは、心がその過去に囚われているからです。

その思いは「心の誠実さ」の表れでもあります。罪悪感が湧くということは、すでに「同じ過ちを繰り返したくない」という深い願いがある証拠なのです。

・穢れている人間なのか
「私は穢らわしい」と思ってしまうのは、とても苦しい自己否定です。しかし仏教では、人は本質的に「仏性(目覚める力)」を持つ尊い存在だと説きます。たとえ過ちを犯しても、その仏性は決して失われません。あなたが涙を流し、罪悪感を感じていること自体が「仏性の働き」そのものです。

・どう向き合うか
償いではなく「今の一歩」に集中する
 過去を消すことはできませんが、「今、人に優しくする」「誠実に生きる」ことで心の負債を少しずつ返していくことができます。

感謝を実践に変える
 親や友人が優しくしてくれることに罪悪感を覚えるのではなく、「その優しさを生かして、私も誰かに優しくしよう」と置き換えてみてください。

罪悪感を手放す修行
 呼吸を整え、過去の映像が浮かんだら「これは過去。私は今を生きる」と繰り返す。これは仏教でいう「念(マインドフルネス)」の実践であり、心を鎮める助けになります。

・結びに
罪悪感に押しつぶされそうになっているあなたに、どうかお伝えしたいのは「それは仏性の働き」であり「あなたが人として深い誠実さを持っている証だ」ということです。優しい人たちと関わることを避ける必要はありません。その優しさを受け取り、自分も誰かに返すことで、過去は静かに昇華されていきます。

合掌

2025年9月4日 14:56
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
仏教×対話×ビジネス。僧侶・理学療法士・プロファシリテーター。整うコンサルタント。仏教と対話で導く、リーダーのための内省と再構築。ビジネスという営みを通じて、人が本音と出会い、本来の個性で生きる場をひらいています。 ※お坊さん回答の中に「鈴木光浄」がおりますが当初諸事情がございまして私が回答したものでございます。そちらもあわせてご参照ください
職業柄、人生相談はこれまで多数受けてきました。 ぜひご自身の本音を出してください。向き合ってください。 私は伴走させていただきます。 理学療法士でありますので、これまで急性期から終末期まで患者さんを担当。 町の診療所から在宅までキャリアを築く。 2歳から108歳まで患者さん担当。 カウンセラー、コーチ、コンサルタントでもありますので メンタルヘルスから新規事業、マネジメントまで相談対応可能。 ビジョンワークはライフワーク。

心から懺悔し謝罪しお誓い下さい

拝読させて頂きました。
あなたがあやまちを犯してしまったことをとても悔やんで罪悪感にさいなまれているのですね。そんなじぶんのことを優しく接して慈しんで下さる方々のことを思うととても辛いのですね。あなたのことを知ったら軽蔑してくるのではないかととても恐れているのですね。そんな自分のことがけがらわしいと思っているのですね。詳細なあなたのことや犯した罪や周りの方々のことはわからないですけれど、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたは沢山の方々にいつも守られて愛されて育まれているのです。あなたはとても大切な人ですからね。
あなたが犯したあやまちや罪を心から仏様や神様やご先祖様に手を合わせ告白なさって下さい、そして心から反省し懺悔してください、そして仏様や神様やご先祖様やあなたが傷つけてしまった方々や被害を与えてしまった方々に心の中から謝りましょう、もしも直接お会いすることがあれば誠意をもって謝りましょう。
そしてそのようなあやまちや罪を犯さないように仏様や神様やご先祖様にお誓いなさって下さい。
仏様や神様やご先祖様はあなたの思いや懺悔や謝罪や誓い全てを優しく受け止めて下さいます、あなたを受け入れお救いなさって下さいます、あなたを善き方へとお導きなさって下さいます。
あなたはいつでもどこでもどんな状況の中でも仏様や神様やご先祖様に優しく見守られているのです。そして善き方へと導かれていくのです、そしていつも多くの方々があなたを優しく慈しみ育んで下さるのです。
どうか安心なさって下さいね。
あなたがこれからの未来も沢山の方々に守られ育まれ健やかにご成長なさっていきます様に、善き考えや言葉や行いを日々心掛け心から安心して充実して毎日を生きることできます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っています。
そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌

2025年9月3日 8:38
{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

雲を離れた月のように

以下は釈尊の言葉です。
「人がもしも悪いことをしたならば、それを繰り返すな。」
「以前に悪い行ないをした人でも、のちに善によってつぐなうならば、その人はこの世の中を照らす。ーあたかも雲を離れた月のように。」
過去に過ちを犯しても、それを深く反省し、二度と繰り返さないなら、仏教的にはそれで問題ありません。
あなたが気に病む必要はまったくないのです。
しかし、どうしても気にかかるというなら(これはあなただけでなく、すべての人たちにおすすめしたいことですが)今日から善行を心掛けるというのはいかがでしょう。
電車でお年寄りに席を譲る、道端のゴミを拾う、あるいはあなたの友人や両親、恩師のように人に優しい言葉をかける。
毎日一つでもいいからそうしたことを続ければ、あなたは雲を離れた月のように光輝くでしょう。
過去の過ちの記憶など雲散霧消するはずです。

2025年9月10日 19:00
{{count}}
有り難し
おきもち

社会人生活を長年送った後、曹洞宗の僧侶となりました。仏教の教えの一つ一つが、かつての私自身の場合がそうだったように、相談者の皆さんの生き辛さの解消につながるものと信じています。愛知県内にご住職のいないお寺がありましたら、ぜひご紹介ください。

煩悩スッキリコラムまとめ