家族像への執着
初めまして、こんにちは。
私は大なり小なり仲の良い家庭がすごく羨ましいです。
再婚は最近珍しくもないですがその後良好な関係を築けている家庭は少ないかと思います。
再婚でなくとも虐待などの不幸なニュースが目立ちますので家庭を築くのはそう簡単ではないんでしょうね。
小学校卒業までの間に両親の離婚と母の死を経験。
そして年の離れた異父兄との関係、父子家庭のためか家族像に異様に執着しているのではないかと成人してから気付きました。
兄たちとは父親が違うとは言え当時の子どもな私には関係ありませんし、今でも大好きなお兄ちゃんに変わりはありません。
母が亡くなってから兄妹との交流は少なからずあるもののやはり兄たちとは距離があります。
それを感じる度に「私達は本物の家族ではないんだな」と痛感し、涙が溢れてきます。
母が生きていればもう少し状況も変わっていたのではないかと、ないものねだりをしてしまいます。
未だに母が亡くなったことに対しても未練があります。
この寂しくて辛い気持ちを和らげる方法を教えて頂けるのではないかと思い投稿させて頂きました。
ぜひ宜しくお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏様の大慈悲に包まれて、いつまでも一緒のあなたの家族よ。
プロフィールも読ませてもらいました。
そうね。。。家族の形や 家族への愛って、みんなどんな風に感じているのだろうね。
それを考える時って、自分が描いているものがあったり、強く求めているな〜と感じたり、寂しさや恋しさの裏返しなんだろうね。
じゃなきゃ、考えもせずに、生きているのかもしれない。
お母さんを堪らなく恋しくなる日があってもいい。私に命を与えてくれた特別な人だものね。
声を聞きたい、笑いかけてほしい、心配いらないよって抱きしめてほしい。
お母さんには、お母さんの命の終え方(生き方)があったのだろうね。家族でも、それぞれの人間。その人には また新たな関係性があって、どんどん縁が広がっていく。
みんな、無数の縁によって、見えないけれど繋がっているんだろうね。
それを教えてくださるのが、仏様なんだよ。
この世や人は、常に変化していく存在、いのちも、いつか尽きるけれど、終わって滅びてしまうわけじゃなく、繋がっていく世界(浄土)へ。そのために、私は願い あなたを想っているよと、仏様は私たちにずっと喚んでくださっているよ。
仏様だけは、先に行ったり、消えたりされない。ずっと私のそばで生きてくださり、みんなと繋いでくださる、亡き人ともね。
そう想うとね。もっと広い考えで、仏様(親)に願われ続けている私だったんだなぁって。
寂しくなったら、手を合わせてみて。
お母さんがそばにいてくれる。あなたを想うたくさんの家族(先祖)も。そう考えると、私も仏様繋がりのあなたの家族よ。
大きなお慈悲でみんなを包み込んでくださる仏様が、あなたを慈しんで微笑んでくださっているよ。
寂しくなったら、思い出して。
ちゃんと家族がそばにいるわ(﹡´◡`﹡ )
内側と外側を分けているのはどうして?
私のいるお寺には、何十年もの付き合いになるお檀家がいくつもあります。故人様の命日に一件一件お参りにいくのが私の仕事です。家に入るので、自然にご家庭の雰囲気が伝わってきます。かれこれ20年、色んな家族の移りゆきを見てきました。
扇子を思い浮かべてください。扇子の一本一本の中骨を一点で留めている部分をカナメと言います。このカナメが外れてしまうとたちまち中骨はバラバラになります。そのような感じで、親の死をきっかけにパチンと弾けるように、子同士の関係がバラバラになったご家庭も見てきました。
相談者様が二十代になって家族像への執着に気づいたのは、偶然ではありません。私を含め多くの人が「家族像の揺れ動き」を経験する年頃です。家族や親戚、友人関係に至るまで、年を重ねるごとに付き合いの幅が変化していくものです。
しかし、ご相談者様はすでに幼い頃、大きな変化を経験なさいました。その心細さはいかばかりだったか、心ない言葉に傷つくこともあったでしょう。生傷がやっと固まってきたのも束の間、そのかさぶたをはがされるような痛みを今まさに感じておられると推察いたします。
ご苦労はありつつも、冒頭の文章から家庭環境は良好であったことも伺えます。父親は違えども「大好き」といえる間柄なのですから。「本物の家族」であったことは間違いありません。
しかし、今は「本物の家族じゃないんだな」と痛感するほどの距離感。まるで信じていた人に裏切られたような強い怒りを感じます。きっとそのように線を引かざるを得ない何かがいくつかあったのでしょう。
詳しいことは分かりませんが、私は相談者様が「周りをよく見ておられる」方だという印象を受けました。それは言い換えれば、内側と外側を分ける線が色濃く見えてしまうということでもあります。
線が見えることが悪いのではありません。それはこれまでずっとあなたの心を守るために備わったものです。しかし、内側にいるか外側にいるかで激しく一喜一憂し、ちょっとしたことでも敵・味方に分けてしまうのならば、怒りは増すばかりです。今のままでお兄様たちと交流しても、より辛さが増すばかりでしょう。そうなる前にあえて距離を取り、時間をおくことをオススメします。
その間、気晴らしをすることで気持ちを多少は和らげることもできますし、これを機会にご自身の性格としっかり向き合うことも必要かと思います。