他人への嫉妬をやめ、自分に自信を持ちたい
他人の持っているもの(特に人間関係)が羨ましく感じ、
悔しい気持ちや妬ましい気持ちで苦しくなります。
詳しいことは書けませんが、私は携わっている仕事に関係する才能/能力/運があるそうです。
自分でもそう思える瞬間や出来事は多々ありましたし、家族や知人、会社の人からもよく褒められました。
「他の人が欲しいと願っても手に入れられない天性だ」とも言われたことがあります。
その仕事は幼い頃から夢見ていた仕事で、もちろん才能があったことは嬉しく、誇りに思っています。
しかし、私は人間関係を築くのが苦手です。
そのせいか、人間関係が上手くいっている他人を見ると、気が狂いそうなほど嫉妬してしまいます。
例えば「友達をたくさん持っている人」「恋人を持っている人」「人気を持っている人」など…
人に選ばれている、人に好かれている他人を見ると羨ましくてたまりません。
家族や知人に相談しましたが「些細な事だから気にするな」「楽しそうに見えるのは上辺だけだ」と言われました。
「友達は数じゃない。どうでもいい友達がたくさん居ても仕方ないよ」
「あの人は恋人は居るが、実は浮気症で相手をとっかえひっかえしているんだぞ。そんな恋愛がしたいのか?」
「人気があると言ってもお調子者なだけ。会社のトップには目を付けられてるよ」
「お前は特別な才能を持っているのだからいいじゃないか」
何度もそう諭されましたが、嫉妬が収まりません。
頭で理解しても、心が伴わないんです。
自分に無いものを持つ他人が羨ましい。
才能は仕事に使えるが、人生は仕事だけじゃない。
才能が無くても、人に好かれている人生の方がよっぽど充実しているように見える。
自分の人生は充実しない。充実できない。努力をして改善しても最初から持ち得ている他人に勝てない。
「才能があるから良い」と割り切れず、自分に無いものを望んで、ずっと誰かを、何かを嫉妬し続ける人生がツラいです。
どうすれば自分の持っているものに自信が持ち、他人に嫉妬せずに生きられるでしょうか?
キチンとまとめられず申し訳ございません。
こんな内容でも、どうかご相談に乗っていただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
本当の自信はもっと深いところから生まれます
拝
物事は全て関係性の上に成り立ってます。
プラセボさんとその仕事を評価してくださる方がいて
充実した、たくさんの時間を頂けます
プラセボさんとその持ちあわせた才能を認めてくれる方がいて
将来に自信を持てます
適性にあった作業、仕事があって
情熱が湧きます
はて、プラセボさんは自分一人で何か成し遂げる事は出来たのでしょうか?
根本的に問題を解決する為には、
まずは、物事を正しく見なければなりません。
まず自信に対して過大評価しすぎない事です。
何故なら「自信を持っている」という状態もいつかは失う現象だからです。
仮に今自信を持ってても将来自信を持ち続けることなどできないからです。
プラセボさんが人気のある方に嫉妬してしまう
これは大変欲張りな事です
つまりプラセボさんは欲張りなんですね。
善い事悪い事という話ではないんです。
プラセボさんが「自分は大変な欲張り」だと自分の事を認めて、
その欲張りな自分の心の動きを客観的によく観察する事が大事と説いてます。
自信が欲しいという状態は、
自信が無いから欲しくなるものです。
もっと言えば、自信が無くて不安だから欲しくなるのです。
お腹が空いたから
ご飯が食べたくなるのと一緒な訳です。
ところが自信も満腹も己の精神的な部分を満たす事は出来ないうえ、
一時的な快楽であり、客観的にはどう考えても、これは欲しがってもしょうがない感情なのです。
本来生きる上で全ては必要最低限だけあれば善いと、
ありのままを認められるようになれると楽になりますね
他にもう少し優しい方法もあります。
プラセボさんは今後も自信を求めるでしょうね。
ですが、そのままの欲張りで良いんです。
偽りじゃない本当の人気者になる事が出来たらそれで良いとしてください。
でもよく考えると、基本的に人気のある人は自分と同じように人の事も考えるし
自分の良いところなどひけらかさない
大事な時は勇気を持って行動して
実現力があって
器がデカくて
いつも笑顔です
…何のことはない自分の理想とする姿です。
人気者になるとは即ち自分の理想の姿に近付けるように努力している証拠であって
嫉妬してしまうのは、行動に消極的になっているだけです。
そんな暇があるなら人の良い所を沢山見つけて勉強して行動に移すすべきなのです。
合掌