これからどう生きていけば良いですか
夫と夫の家族を見下してしまいます。これからどういう心構えで生きていけば良いのでしょうか。
つい先日、夫の不倫が発覚し、関係修復に努めている最中ですが、お盆時期なので義父の遺影にご挨拶に行こうとしたところ、義母が私と会いたくないと言っている事がわかりました。直接は聞いてはいませんが、私との関係に疲れてしまったというのが義母が私に会いたくない理由だそうで、夫には、「お前は可愛げ一切ないからな」と言われました。
義理の姉からも数年前から無視されており、ここまで来ると、やはり私に問題があるのだろうと思うようになりました。
いろいろ考えましたが、私の中に、夫や夫の家族を見下す気持ちがあるように思います。息を吸うように嘘を吐きながら自分を正当化してマウンティングしてくる義母や、一般常識を知らない夫(夫は20代後半になって大学、大学院に行きましたが、会話のない家庭に育ったからか、干支を知らないなど、一般常識に欠けるところがあります)のことを、意識的、無意識的に批判したりバカにしたりしてきてしまったことのツケが、自分に戻ってきたように思います。
夫曰く、夫の不倫の原因も私にあるそうで、今更関係修復できるとは思えないと言われました。
今までの自分を反省し、自分を変えたいと思う反面、自分ばかりが悪者になっている今の状況に納得いかない部分もあります。このドロドロした思いを、どうしたら手放すことができるでしょうか。
私は、このまま生きていても、良いでしょうか。ふとした瞬間に、死んだら、楽になれるかなと頭を過りますが、こどもを遺して逝けないため、何とかして前を向いて、生き続けなくてはとも思います。
今のところ私自身は夫への愛情がありますし、子供のことも考えて離婚は選択肢ではないため、少なくとも夫との関係は修復できればと思いますが、どのような心で今の状況に向き合えば良いでしょうか。
夫が怒りっぽいことに、疲れてしまう。
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別の立場から考えてみると…。
質問を拝見しました。
もし、私がご主人の立場だったら、どう思うかを考えてみました。
毎日生活していて、言葉や態度に出るか出ないかの違いはあっても、基本的に見下されているなら、
家に帰りたいとは思わないだろうと感じました。
『今のところ、愛情はある』と言われても、愛情があるなら、何故見下すのか?、とも思いました。
『お盆時期なので義父の遺影にご挨拶に行こう』と思われた時、是非行きたい!と思われたでしょうか?。
普段から見下してくる人が、お盆だから遺影に挨拶したいと言ってきても、そこのご家族は、喜ぶでしょうか?。
お盆やお彼岸だけに限らず、ご先祖様の御供養は日常的に出来ることですし、普段から気持ちを向けて頂けると有り難いのですが、
お盆だから、と体裁を保つためにご挨拶に行くのではなく、普段からの人に対する接し方が問われてくることになります。
常に相手を見下している態度が感じられるうちは、相手の方々にも受け入れられることはないでしょう。
「見下していた自分も悪いけど、自分だけが悪者になるのは納得いかない」と考えるのは、ご自身の中で、人を見下す、というより、自分の都合で物事を見ているように感じます。
大事なお子さんに出会えたのは、ご主人と出会ったから、
ご主人と出会えたのは、『息を吸うように嘘を吐きながら自分を正当化してマウンティングしてくる』お母さんとお父さん、
そうやって遡れば、沢山の人たちの想いが詰まっている私たちの命ですから、ご先祖様に対する感謝や、今ご自身と関わる全ての人たちに感謝の気持ちを持って接することが出来るように、まずはご自身の心と向き合う事が出来るといいですね。
穏やかにお気持ちを取り戻せますよう、お祈りしております。
追記
問題を本質的に解決したいならば、今、生きている間に努力を積み重ねることしかありません。
水に流せないでいるのは、納得出来ていないからですから、わだかまったまま進めていけば、いつかは心やご家庭が、壊れてしまうことになります。大事なお子さんのためにも、ご主人と真剣に向き合って話し合いながら、同時にご両家のご先祖様に対しても、御供養なさることをお勧めします。お金や時間をかけなくとも、毎日の中で、良いことも悪いことも味わえるのは、生きていればこそ。
自分の命を繋げて下さった存在に、感謝の気持ちで朝夕、感謝の言葉を伝え続けて下さい。
気になったのですが
繰り返し読ませていただきましたが、
夫に不倫されたんですね。
不倫された件に関して、相談者様に非はないです。人を見下していたことは確かに良くないことです。でも、だからといって夫が不倫していい理由になりません。別問題でしょう。
それと、実家に挨拶に行こうと思ったが、義母が会いたくないということを、「間接的」に聞いたんですよね。
これ、とても気になります。夫自身の体裁が悪いから夫がウソをついた可能性はありませんか?もしくは相談者様もそれを疑っていてあえてそれを文章に書きましたか?
本当のことは分かりませんが、相談者様は「夫と別れたくない」という気持ちや「子どものために」という思いに追い詰められて「自分に責任がある」と言い聞かせようとしているようにも見えます。自分を殺してまで守ろうと思うのはなぜでしょうか?読んでいてとても辛い気持ちになりました。
私の回答は間違っているのかもしれません。でも今はそこまでご自身を責めないで欲しいという気持ちです。
《追記》
お礼の文、読ませていただきました。
相談者様の決意はある意味で荒れ果てた土地に種をまくようなものかもしれません。実を結ぶのか、不作に終わるのかは誰にも分かりません。しかし、種をまいた相談者様に私は深い敬意を表します。
別の回答者様も仰られるように、まずは自分から相手を認めること・受け入れることが大切ですよね。私の経験上からも、そうすることで相手も自分を受け入れてくれること「も」あります。
相談者様に申すまでもないことかもしれませんが、見返りを期待した行動や態度はすぐに見抜かれます。また、お互いすぐに改められるものではありません。時がくるまで、できることを無理なく続けてまいりましょう。
厳しい冬を乗り越えて、相談者様のまいた種が芽吹くことを心より念じております。
質問者からのお礼
ありがとうございます。夫との話し合いでは、私は水に流すと言ったのに、夫からは前向きな言葉は一切なく私を責めてばかりなので、惨めで虚しい気持ちでいっぱいです。不倫発覚は、私の誕生日でした。それも、惨めさを助長しました。それでも、自分を殺してまで守ろうと思うのは、やはり子供でしょうか。両親の離婚や不仲を敏感に感じながら育つなんて、そんな悲しい思いを子供に味合わせたくないからかもしれません。夫の言葉の何が本当でどこからが嘘なのか、もはや私にはわかりませんが、中途半端な気持ちは捨てなければなりませんね。関係修復を決めたのなら、こどものために、笑顔で楽しい家庭を築かなければ。ふとした瞬間に、涙が出ます。が、これもきっと、時間が解決してくれるのかなと、思います。カルマを受け入れ、今の問題をしっかりと乗り越えることが出来れば、来世は良いものになるのではと思っています。
温かいお言葉を頂戴し、涙が出ました。
仰るように、今までの自分を反省し、意識を変える努力を日々怠らないようにすること、それによって相手が私を受け入れてくれるかどうかは分かりませんが、とにかく、今私の中に蔓延っているドロドロとした醜い気持ちを少しずつ手放し、相手を許し、最後には自分を許す努力を続けられたらと思っています。
(これを書いているこの瞬間も、夫や義母を非難する気持ちが心に蠢いております。言うは易し、行うは難し、ですね。)
これまでも心の病気になるなどして思い詰めたことがありましたが、今回改めて、生きて、生き続ける、というのは、ときに苦しいものだと、感じました。
感謝の気持ちを忘れてしまうと、きっと苦しいものばかりが目に入って生きるのが辛くなってしまうのでしょうね。自分なりの、こころの拠り所を、探してみたいと思います。