お盆に亡くなった愛猫の意味
昨日お昼に、14年連れ添った愛猫が旅立ちました。
数分前に大好きなおやつを食べたり、お気に入りのソファへジャンプしたりと、まさか亡くなるとは誰も思っていなかったです。
今思うと、暑さに体力がついていかず、力尽きてしまったのかと思います。
直前には、私をじっと見つめ、寄り添い、挨拶をしてくれたのが頭から離れません。
数時間後には火葬・読経を終え、御骨をペットの共同墓地に納めてもらいました。
今はやっと気持ちの整理がつき始め、仏様にうちの猫をよろしくと伝えております。
しかし、ひとつ気がかりなことがあります。
それは、お盆に突然亡くなったのは、果たして善いのか悪いのか?ということです。
ネットで調べたりもしましたが、お盆には鬼?がこの世に来るなどの言い伝えがあったり、その一方で、先祖が生きているものを迎えに来てくれたなど様々でした。
私の愛おしいあの子は、果たして正しく導いてくれる方が迎えに来てくれたのでしょうか。私が生をまっとうした後、仏様のもとでまたあの子と会えるのでしょうか?
心配でなりません。
お坊様方、どうか無知な私どもに
・お盆に亡くなるという意味
・あの子が今どうしているのか
お教えくださいませんか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今、もう一度会う-仏様として出会い直す-
ご相談拝読しました。愛猫ちゃんのご命終に謹んでお悔やみ申し上げます。
長年連れ添った存在ですからさぞお辛く悲しいことと思います。さらには突然のことだったようですので戸惑いもあったことでしょう。
焦る必要も、簡単にこれはこうだと答えを出してしまう必要もありません。ゆっくりと愛猫ちゃんの死と向き合っていきましょう。
さて、まず
>お盆に亡くなるという意味
についてですが、お盆に亡くなったことが良いとか悪いとかそのようなことはありません。お盆というのは人間が考えたものです。それに囚われるのは人間だけです。
動物は世界と一つになってありのままの命を生きています。新型コロナで騒いでいるのだって人間だけでしょう?動物は死ぬ事さえもそのまま受け入れて命を終えていきます。ましてやそこに良いとか悪いという評価など持ち込みません。そうした意味付けによる評価をするのはに人間の特徴です。
今回はたまたま愛猫ちゃんの亡くなるタイミングが人間の考えたお盆の日に当たったということでしょう。
次に
>あの子が今どうしているのか
については二つ考え方があります。
①愛猫ちゃんそのものがどうしているか
②私にとっての愛猫ちゃんは今どのような存在か
の二つです。
①についてはどう頑張っても確かめようがありません。だから宗教の説く物語におまかせするのも一つです。私はどんな命も阿弥陀仏の極楽浄土に往き生まれるという物語に託したいと思います。
②については「私にとって」という一点において確かめていくことができます。そしてそれこそが亡き命とこれからも共に歩む供養の在り方です。
どうしているかわからないはずの猫ちゃんが苦しんでいる気がするならばそれはあなたが苦しんでいるという事。穏やかでいる気がするならばそれはあなたが穏やかであるという事。もうあなたを離れて猫ちゃんが存在するわけではないという事です。
この時、猫ちゃんの存在があなたをあなた自身に目覚めさせてくれるものとして見出されるならば、それはもう仏様と言えます。仏様とは真実に目覚めた方であり、真実を教えてくれる存在であるからです。
ここで①と②の境目が消えていきます。猫ちゃんは今、浄土から仏様としてあなたを目覚めさせようとはたらきかけてくれているのです。そのはたらきかけはあなたの心に様々な形で届くことでしょう。
質問者からのお礼
吉武文法 様
早速のご回答ありがとうございます。
1度目拝読し心が救われ、
2度目拝読し己の思考の愚かさを知り
3度目以降は、お恥ずかしながら「真実に目覚める」ということは、どういうことか。考え調べておりました。
今はようやく平静を取り戻しつつあります。悲しみは絶えずありますが、死を受けいれ共に歩もうとしております。
私には仏教の教えや物語が自分にとって合っていると感じますし、また心が救われております。
その道の方から見れば浅はかかもしれませんが、今回の件で仏様の教えにとても惹かれ、自分なりに学んでいっております。
お坊様から頂いたご回答は、これからも度々読み返しては自分なりに噛み砕き、励みにさせていただきます!
救っていただき、心より感謝申し上げます。