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人としての正しい生き方

回答数回答 2
有り難し有り難し 29

はじめまして
いつもお坊さんのような考え方。心掛けるようにしています。

そこで生物は生まれ持って平等ではないこと。広い心を持つ(客観的に見る)ようなことを学びました。

しかし時には自分勝手なことをしている人をみかけます。

人のものを傷つけたり大切なことを貶したり

自分は感謝の心が足りない人たちなのかなとか思います。
よく話すのがあまり良くないかも知れないのですが家畜の事です。
家畜は人に育てられて食べられるために殺されますよね?自分は命をいただくのでいただきますを大事にします。
しかし自分勝手な人はいただきますを心から言っているのか?そんなことを考えます。
そこでお坊さんにききたいのは正しく生きるってのはどのようなことなのか?ってことです。

自分らしく。周りの事を大事に。感謝の心。
実は簡単そうで難しいようなことを大事に大事にすることを自分は心掛けています。

しかしそれが正しいことか。よくわかりません。
悪い。正しい。これは自分がどう捉えるかで変わると思います。
たとえばまた動物の話しになるのですが狩りをして他の動物を食べた。これは食べられた側からしたら悪になります。しかし食べる側。狩りをした動物にお腹がすいた子どもがいたら?食べる側からしたら正しいことになると思います。

なので自分で悪い正しい。決めることはわかっていますがお坊さんの正しい生き方。正しいと言いますが人に敬われるような生き方。そして自分は正しいのか。
そのようなことをお坊さんに聞きたいです。

長くなってしまいましたがどうか意見を聞かせてください。お願いします。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まごころ

"しかしそれが正しいことか。よくわかりません"
あなたのおっしゃる通りなんだ。【空】なるが故に、ことの善悪などというものは、その時その場の状況や都合、つまり【縁】によってコロコロと変わります。だから、何が善で何が悪なのか絶対的な尺度はないのかもしれませんね。

"人に敬われるような生き方"
他人が私を敬うのかどうかは、相手の問題であって私の課題ではありません。私の課題ではないので、私にはどうすることもできません

【よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。】親鸞
浄土真宗の親鸞さんは、このようにおっしゃっておられました。
極楽浄土に往生する為には、絶対的な善である他力念仏に憑むしかなく、他の善はちょっとアテにならないかなーーーーっていう話。

この娑婆で生きている間は、一定のルールや常識に従いながらも、結局、自分の中にある善意良心に基づいて判断し行動していくしかない。だから、その<まごころ>や<思いやり>の精神を養い、育む日々を送りたいものです。そのためにも私は仏教に学び、そして他の宗教をも尊重するのです。

hasunoha.tenrakuin@gmail.com

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あわてずあきらめず、仏道を一歩ずつ

からすさん、こんにちは。多感な時期ならではの、とても大切な問いをいただきました。すでに仏教にふれ、様々な実践を重ねておられることを拝見し、感動しました。このお尋ねには、2つのことが問われていることに気づきました。
1.僧侶が考える正しさとは何か
2.正しく振る舞っていない人がいるがどう思うか。
 まず、1つ目。正しさといっても一人ひとり違いますし、時代や文化によっても変わりますね。特に戦争などの非常時においては、その判断が変わりやすいという歴史を、私たち人類は経験してきました。ですからここでは、自利利他円満なる存在(=仏さま)を仰ぐ者としての正しさと定義したいと思います。その内容は、まさに「八正道」と教えられてきました。ぜひ、からすさん自身で調べて、出来るところから実践してみてください。そして、完全なる実践が出来ないことも正直に経験してみてください。そこまで突き抜けてみると、自分自身や周囲の人々へのまなざしも変化が生まれてくるでしょう。
 2つめ。からすさんは、「こんなことを言うつもりはなかったのに」「本当はこうしたかったのに、反対のことをしてしまった」という経験はありませんか。私たちは、周りの人々の行動を見て、その人の善し悪しを判断しがちです。しかし、その人の心の中までは十分知ることは出来ていません。知らないのに、善し悪しの判断を加えてしまうことは、ありのままに見た(=正見)ことになりませんね。自らが志を高く持って行動していくと、周りの人々の行動も気になるのはごく当然のことです。そこで、あくまで仏道は「仏さまと私」という関係性の中で学び、実践を重ねていくものだと押さえておきましょう。 つまり、自分の実践に対する評価や周囲の人々の言動に振り回されないということです。
 でも、からすさんの実践は、誰かがきっと見ています。そして、からすさんの生き方に共鳴した人が出てくるでしょう。自ずとその輪が広がっていくでしょう。からすさんが、仏道に自ずと導かれたように。それで十分意味があります。 私も、からすさんの求道と実践にに大きな刺激をいただいた一人です。世の中には理不尽なことがあふれていますが、一人ひとりのささやかな実践は、確かに受け継がれていくものだと思っています。あわてずあきらめず、仏道を一歩ずつ歩んでいってください。
からすさんの、これからの成長に期待しています。

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有り難し
おきもち

1971年生まれ。本願寺派布教使・源光寺第14代住職 別名「絵本のお坊さん...
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質問者からのお礼

ありがとうございます。
とても参考になりました。

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