守られる知的障害者が許せないです。
今働かせてもらっている福祉の職場では障害者の犯罪が許されます。許されると言うより隠蔽されます。
女性に抱き付いたり、お尻を触る、抱き付いたまま腰を振る、膝の上に女性を乗せ上下に腰を動かす、胸を揉む。全て場所を選んで行っているので、悪いことだと理解しています。それに加え、殴る蹴るなど暴力行為もあります。
それを上司に報告しても相手にすらしてもらえません。信頼している先輩に話しても軽く注意するだけで終わります。
人は平等なのではないでしょうか。
障害者だからといって理解して行っている罪が許される現実に殺意しか覚えません。
警察も動いてくれないのなら自分が捕まってもいいから殺してやるという考えになってしまいます。
人を殺すという行為は必ずしも悪になるのでしょうか。
私は目の前の防ぎようのない犯罪に終止符を打ちたいだけなのです。
それが悪いというなら見て見ぬふりや犯罪者を守るのは善なのでしょうか。
善悪がよくわからなくなってしまいました。
こんな現実に嫌気が差します。
殺すことさえ許されないのなら、私がこの世から消えてなくなりたいと思ってしまいます。
こんな世界知らなければ良かった。
私の考えは間違っているでしょうか。
今は怒り、憎しみ、恨み、殺意しかありません。
今までの自分に戻れそうにありません。
神はどれだけ試練を与える気なのでしょうか。死にたくなります。
兎に角、頭が回らなくなっている私はこれからどうすればよいのでしょうか。
犯罪をなくしたくて動いているのに、否定される人生に希望も何もありません。
否定しかされない自分が悪いですよね。
ただ笑顔でいたいという正義感
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
どうすればいいのかを考えてください。
七時雨山さんのご心痛お察し申し上げます。
たしかに、障害者だから何をやってもいいというものではありません。相手がいることですし、迷惑であり、まじめに働いている人にも失礼です。
私は、このようなケースについては、他の現場の方々はどのように対処されているのは分かりませんから、コメントができませんからお許しください。
ただ、そのことで七時雨山さんが殺意を持つことも、そしてご自身をも否定することはやめて頂きたいと思います。
この世は理不尽なことが多いです。その時の都合や、立場によって変えられていく、隠蔽されていく。いつの時代でも同じことが繰り返されいます。
善悪についても、立場や時代が変わると、真反対になることも多々あります。
もちろん真理は変わりませんが、教えでも都合で変わります。七時雨山さんにとっては、はっきりしたいという気持ちも分かりますが、極端に答えを出そうとすると矛盾も生まれます。
ここで言えることは、あらゆる時代において状況がおかしいと感じた人が時代を作ってきたということです。七時雨山さんが、おかしい変だと感じた時、世間や周囲を非難し、自分を追い詰めるのではなく、どうしたら改善できるかを考えた方が前向きになれるのではないでしょうか。
もちろん、簡単ではないかもしれません。しかし、異議を感じた時にしか改善はされないのです。
現実に、このようなお話を聞いて、初めてそういう世界があるのだと思うのです。
私たちは、それぞれの世界で生きていますの、その中でより良い世界になるよう努力しています。七時雨山さんのお話を聞いた時、そこにいる人、気づいた人しか変えることしかできないと思いますし、それも使命のひとつかと思いました。
何年かかるか分かりませんが、同じような苦しみを感じている人も為にも、何が一番良き方法なのかをお考えください。
先ず落ち着いて対応しましょう
拝読させて頂きました。
あなたが理不尽と思われるのもよくわかります。
であるならばそのように困っている方々や罪を犯してしまっている方々について先ず落ち着いて冷静に対応なさっていかれることが大事だと思います。
間違いを犯している方々にはあなた独りでなく皆さんと共有しながら間違いを正していく方法を見つけていきましょう。
そして被害を受けたり困っている方々は助けてあげて下さいね。
ものごとそう簡単にはいかない、うまくいかないとは思いますが、先ず落ち着いて冷静に対応していくことが結果的に近道かと思います。
そして鈴木 師がおっしゃるようにあなたの心の怒りや恨みや憎しみや殺意を消していきましょう。なかなか簡単ではないとは思いますが、あなた自身が生きる為にもそのような悪意を消していきましょう。
あなたが皆さん共に仲良く心穏やかに生き抜いていかれますよう切に祈っています。
質問者からのお礼
自分の頭で考えて歩いていくしかないのですね。
まだ良く理解できていませんが、改善を考えていきます。
ありがとうございました。