死にたいと思うことは悪いことですか?
突然ですがすみません
『死にたいと思うことは悪いことなのでしょうか?』
私はどこにでもいるような普通の十代ですが、最近どうしても 死にたい と思う事が増えてきました。
私は身の回りの環境には本当に恵まれていると実感しています。私にはもったいない程です。そのため私には本来、死にたいと思う権利すらないのでしょうが、それでも思ってしまいます。
思ってしまうのは私の弱さが原因だと分かっています。何かのせいにして逃げている自分が悪いことも重々承知しています。そして、それらを承知したつもりで本当は分かってないことも察しが付きます。
でも思ってしまうのです。家族には申し訳なくて言えません。相談できる信頼できる友達もいません。
長くなってしまいましたが、死にたい と思うことは悪いことなのでしょうか?またそう思った時、精神を落ち着かせる方法はありますでしょうか?ご回答いただけたら幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無有愛
ご相談拝読しました。
死にたいと思うことは悪いことではありませんよ。人が何をどう思うか内心の自由、思想・良心の自由は保障されています。
それにそもそもどう思うかということは自分で決めているでしょうか?そうした思いは湧き上がって来てコントロールできないものでしょう。それに良いも悪いもないのですよ。
仏教では人間の欲求を「愛(渇愛)」と表します。貪り執着する心であり、渇いた者が水を求めるように欲望の満足を求める心です。
これに欲愛(性欲・情欲)・有愛(生存欲)の他に「無有愛(むうあい)」というものがあります。これは原義は別のようですが「生存を否定しようとする欲望」と解釈されます。
つまりどんな人間にも生存否定をする欲求・衝動のようなものが認められるということです。
そう思う時は「ああ、この欲求が出たんだな」と認めてあげましょう。そしてもう一歩進めるならば、それはあくまでも「欲求」であるということです。喉の渇きを塩水では潤せないように、欲求に目先のものでいくら応えても真の満足はないということです。
あなたはあなたを「こうあるべき」という答えで縛る必要はありません。家族や環境に感謝する気持ちは大事ですが、感謝はしなければならないものではなく、本来は自ずと生じるものでしょう。
自分の気持ちをきちんと認め、でもそれが欲求であるならばいたずらに振り回されないぞと線を引く。そう簡単にできるものでもないでしょうが、少しずつバランスを探っていきましょう。
他にも何かお困りのことがありましたら取り繕う必要はないので正直なお気持ちをhasunohaに綴ってください。またいつでもお待ちしています。
そう思うことはありませんがますよね
拝読させて頂きました。
あなたのお気持ちをゆっくりと読ませて頂きました。
あなたがそう思うのは悪いことでもおかしいことでもありませんよ。
生きている中では合間合間にふと思ってしまったり、突然思いが湧き出てきたり、ずっと思い悩んでしまったりするものです。
良かったらここでもあなたの様々な思いをお話しなさってみて下さいね。
あなたの思いを出してみて気持ちをスッキリさせてみて下さいね。
私たちはいつもあなたのことを待っています。
あなたが自分の気持ちをお話しなさりスッキリと毎日を過ごしてお健やかに元気に成長なさっていかれますようにと心より祈っていますね。