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真言宗に興味をもちました

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有り難し有り難し 11

最近仕事で行き詰まり、休職中に仏教に興味を持ち始めました。
仏教の基本的なところから、宗派の特徴など見て、なんとなくですが真言宗にひかれ、信仰してみたいなあと思うようになりました。
ですが、実家は地方で、現在の私の家には仏壇も無く、近くでお世話になっているお寺さんもありません。私自身全く宗教に関わってきませんでした。

そこで疑問に思ったことなのですが、
①真言宗を信じている一般の方はおうちで何をしますか?お坊さんほどの修行をされない一般の方は、おうちでするのはお経を読むくらいなのでしょうか。(日々のおつとめ?というのでしょうか。教えてください。)また、それは一日何回ですか?

②家に仏壇が無く、またスペースも収入も無いので購入も難しいです。おつとめする時は何もない場所でやっても大丈夫ですか?また、かわりにこういう物でも良いよというのがあれば教えてください。

③お寺さんとはどうご縁を結べばいいのでしょうか。電車で1時間で成田山に行けるのですが、頻繁には行けません。近所に真言宗のお寺がないので、行けそうなときに成田山に行く、でもかまわないでしょうか。

初めての質問なので読みづらかったらすみません。
よろしくお願い致します。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ようこそ、真言宗へ^^

真言宗の御本尊は大日如来といいます。

宇宙全体を拝んでるとも言い換えられます。

わかりやすくするために、仏像やお仏壇を目の前に置きます。

でもそのおしえの本当のところは、

そよぐ風、流れる川、お日さま、すべてのものに

尊い命を見出します。

僕らの体って、お金で買えないでしょ?

すごいものすごい「つくり」でしょ?

命ってわかんないけど、すごいですよね。

みんなすごいってことを思い出そうよっていう宗派です。

現実の厳しさを前に、なにを綺麗事をっていわれるかもしれませんが、

僕は、ほんとだな。なんかすくわれるなって感じてます。

仏像、仏画、仏壇。

お経や真言を唱えるetc.

拝む対象はいろいろありますが、

僕は自然のやさしい音に包まれる瞑想(我流)が好きです。

仏画などの画像でよければメールくれれば、返信に添付してあげますよ^^

信仰は自分のものだと思います。

ご自分が、楽なようにマイペースでいいと思います。

まず「型」を知りたいというなら、

毎日決まった時間に1、2、3回(自分のご都合で)拝む。

毎朝、仏壇等にお茶とご飯をお供えする、、、などがありますよ。

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有り難し
おきもち

人生も階段ばかりじゃしんどいです。 たまには踊り場で一緒に泣きません...
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質問者からのお礼

殺伐としたネット社会、仕事に忙殺される日々の中で、仏様をおもい手を合わせたり瞑想する時間を自ら作ることに意味があると思いました。
みんなが当たり前にできていることができない、みんなが気にしないようなところが気になる、そういう周りとちょつとずれてる自分に苦しめられ、いまでも苦しんでいますが、それも含めて人であると、仏様は呆れず見ていて下さると思うと少し救われるような気がします。
つい先日は写経、また昨日は家で瞑想してみましたが、少しだけ心穏やかになれたと思います。まだ毎日拝んだりはできていないですが…。
信仰は自分のものにして、出来そうなときにやりたいことをやってみようと思います。
前向きになれるようなお話をありがとうございました。

「真言宗」問答一覧

愛染明王様のご真言を一般人が唱えて良いか

初めまして。 私は、実家の宗派が浄土真宗ですが、中学校と高校が真言宗の学校であり、真言宗のお寺によくお参りに行っております。 そのような中で、真言宗の僧侶の方がお書きになった本を拝読し、YouTubeを拝読する機会があり、愛染明王様のご真言が書かれておりました。 そこで、自分にとっての良縁が結ばれるようにと、自宅で白い紙にお願い事と自分の名前を書き、その紙を両手で挟んで 愛染明王様に語りかけ、ご真言を毎日何回か唱えております。 すると、私にとって良い意味で不思議な出来事がたくさん起こり始め、なんだか毎日が安定して楽しい未来を想像してワクワクしてまいりました。 しかし、ネットでより深く調べてみると、「ご真言を素人が唱えるのはよくない」「敬愛法は素人が安易に行ってはいけない。代償が起きることがある」と書かれており、少し不安になりました。 そこで私は、「確かに、自分はご利益の内容をきっかけにご真言を唱え始めたので、不純で恐縮だった。」と反省しつつ、 「愛染明王様のおかげさまで日々私は安心して楽しく暮らせるようになったのだから、その感謝と挨拶を、愛染明王様が祀られているお寺に伺ってお伝えしよう」と考えるようになりました。 そしてそのまま愛染明王様との繋がりを信じ、ネットの記事を気にせずご真言をお唱えしているのですが、良いのでしょうか?また、よくお参りする真言宗のお寺とは別に、愛染明王様が祀られているお寺やその他のお参りしたい神社仏閣に複数お参りに行くことは、良くないことなのでしょうか?

有り難し有り難し 9
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真言宗のお坊様

不躾なお話になりますが、お許しください 私は単身者もうすぐ40になります。 福祉の仕事で、専門職として働いておりました。 10数年勤めておりました。やりがいはもちろんあるのですが、お役所仕事と言いますか、毎日の大人同士の人間関係を大切にしてその日を過ごす。そのような雰囲気があります。 ここ最近は無気力な気持ちに苛む事が多くなりました。これについては私生活における大きな悩みも要因でした。少しメンタルの不調が続いています。 今はまたチャンスを頂き、同業他社で働く予定で仕事開始を控えております。 経済的な事もあり、求人を読み漁ってました。その中でこれがやりたいという気持ちも一切湧かず、前職と比べたら給与も安く肉体労働系の仕事など今より条件が悪くなるものばかりです。 働く事は生活のためであるのだから自分の考えでは甘いと思います。 物事を思い詰めてしまうところがあり、何事も見通しが持てないと不安が強くなる特性もあります。 今までの仕事での充足感や必要とされていた感覚を捨てて、異業種に行く怖さがとても強くあります。 そんな中ここ数年、YouTubeなどでお坊さんの話を聴く機会を多く持ってました。 そして生まれ育った環境の影響もあり、真言宗僧侶に興味関心を持っております。 なぜ興味を持ったのかというのも正直なところ、仏教の先人達の教えを学び、自分の人生をより豊かにしていきたい。というのが大きな理由になります。僧侶になれば自分の精神的な弱さも含めて救われるのではないか?と考えました。人のために役立つ事は苦にならないのですが、反面人付き合いが得意ではありません。人間関係の疲れ、俗世から脱出したいというのもあります。 僧侶といっても宿坊へ就職する感じになります。 お坊様からこのような考えについて何かご意見頂きたかった事。 男性社会であるお寺(宿坊)での実際の業務や修行の話を伺いたく相談いたしました 私の勝手な想像ですが、お寺(宿坊)が僧侶としての道を支援して頂ける。これは一生仕える気持ちでそのお寺に就職という事を相手様も希望している。生半可な気持ちでは来て頂きたくない。というのが本音ではないかと思っております 次の内定が決まった福祉の仕事を長く続ける事が、今自分にとっての最適解と考えてはおりますが、この次はお寺で働きたい。とやはり考えてしまいます 何か方向性を示して頂けましたら幸いです

有り難し有り難し 7
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真言宗の僧侶になるには

僧侶になる人の心構えを教えてください。 自身を修行の場に身を置き、一切言い訳や弱音を吐けない場所で仏教を学びながら、自分や周りの人生を仏教を学んだうえで豊かにしていけるのでは?と考えてます。 高野山の宿坊では宿業務の傍ら、僧侶になれます。と求人が出ております。 このような場所に身を置いて学ぶ事の想像が出来ませんが、どんな人間でもそれなりの精神的成長は見込めるものでしょうか? 今は都会で暮らしており、少し人生に疲れているところはあります。何事にも中途半端になってしまうところもあります。 ですが、高野山の宿坊を調べてるうちに、ピンキリとあり、結局のところお金が神様と考える資本主義の世の中から断ち切れるか?修行の場にも俗世の欲望や煩悩から切っても切れない場であるのか? 全ては自分次第だとは思いますが、何かアドバイス頂けたらと思います。 真言宗にしたのは高野山含めて昔から馴染みがあります。 あと人との関係性を築くのがあまり得意ではなく、大体独り行動が多くここまで来ました。医療系の仕事で業務の会話のみで成り立つ、女性に囲まれた環境が長かったです。 男性社会の人間関係はどのようなものかも実情を教えて頂けたら幸いです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 24
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ