大切な人が居なくなる
10代の頃当時交際していた人が交通事故で亡くなり、その後結婚して23年後、主人が病死しました。
そして主人が亡くなって8年経ち、娘が自死しました。
うつ気味で投薬治療を受けていたようなのですか、同居しておらず月に1〜2回会っていましたが悩んでいる事に全く気が付きませんでした。友達や彼氏も気付かなかったようです。
大切な人は私の前から居なくなります。
真面目に生きているつもりですが、なぜ私ばかりと考えてしまいます。
消えてなくなりたいと思ってしまいますが、私の母と息子にまた同じ思いをさせてはいけないと思い何とか留まっています。
不幸が続くのは何か因縁があるのでしょうか?お祓いが必要なのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
信心
初めまして。
大切な人が亡くなる。何よりも哀しいことです。
因縁によるものか否か。
すべては因縁によって成り立っていますが、目には見えないものであり、何より苦しんでいるあなたに「因縁のせいだ」と一言で片付けられるとは思えません。
ご祈祷が必要か。
気になるなら受けるのもいいと思います。気持ち的に落ち着くことが出来るかもしれません。
さて、あなたの苦しみを救う為に私が伝えたいのは、信心を持って欲しいということです。
因縁であろうと、ご祈祷を受けようと、あなた自身が信心を興して佛様に全てを委ねるという気持ちにならない限りはその苦しみから離れることは難しいと思います。
仏教とは即ち「抜苦与楽」です。例えるならば、お釈迦様はお医者様。お医者様から処方される薬が教え(お経)。病人は我々生きとし生けるもの。
仏教を信心するということは、ただ勉強することだけではなく、教えを自身の生き方になぞらえてみることです。そこに苦しみから逃れる方法、活路が見出せるのであります。
最後に。大切な人が亡くなってしまったのは決してあなたのせいではありませんよ。苦しいと思いますが、あなたが出来ることは、亡き人を供養すること。そして、あなた自身が信心を興し、生き方を見直し、実践すること。その功徳は親しい霊は勿論のこと、先祖の霊、有縁無縁の霊を救う功徳となり、あなたが亡くなった時には、ご主人や娘さんと共に、痛みや苦しみのない佛様の世界へ行くことが出来るでしょう。
どうか、弛むことなく精進をされて下さい。
南無妙法蓮華経
質問者からのお礼
お返事ありがとうございます。
私の母はある宗教を信仰しております。
それを見て育った私は子供の頃から信仰心がなく、幸せとは言えない生い立ちもあり、頭から否定して神様、仏様などいるわけがない、死んだらそれでおしまい、無になるだけと考えて生きてきました。
主人の死後は毎日仏壇に線香をあげ、手を合わせ南無阿弥陀と唱えていますが、信心があるとは言えない気がします。
「私自身が信心を興し、生き方を見直し、実践すること」
とても難しい気がしますがやってみようと考えています。