世界一優しい戦士
以前から希死観念について相談させて頂いている者です。何回もお世話になり申し訳ありません。
これまでの相談で、私は生きる理由が無いにも関わらず原始的欲求や死の苦痛に対する恐怖、なけなしの人情などに屈して死ねない自分に苛立ってきました。そんな中で「人の煩悩、ひいては人という概念に打ち勝つ」という人生で初めての目標を持ち、それを自殺によって達成しようと思いました。
しかし、数々のご相談で皆様になだめられ、煩わしさを感じながらも踏み止まる間、ある偉人の格言に出会いました。
「戦いは万物の父である」
古代ギリシャの哲学者ヘラクライトスの言葉です。
彼は「存在する」という万物の本質を「空間や構成要素の奪い合い」つまり戦いと解釈し、万象を陰陽や男女といった対立概念で説明した人です。
しかし、彼は決して酷薄な考え方をしたわけではありませんでした。何故なら、彼の言う戦いは、相対する存在を断滅する事だけではないからです。
彼は、対立概念が共倒れしない理由として「調和」というあり方を提唱しました。対立概念が居場所を取り合って争ううちに譲歩の仕方を学び、釣り合いを取るというあり方です。それは、片方が死滅するまで終わらぬ死闘ではなく、鎬を削りながらも相手を尊重する世界一優しい戦いです。
私は、生命の本質に抗う自分を戦士として鼓舞し、死という選択肢がありながらその恐怖に屈する人々や頑なに生を説い続ける皆さんに辟易していました。そうしていれば、生に抗う自身が特別に見えたからです。
しかし、存在することは戦うことだと説くこの格言を言い換えるとこう表せます。
人間は生きるだけで戦士である、と。
生に屈したと思われた人たち、生を説く皆様は死に抗っていました。戦う相手、戦い方が違うだけの戦士だったのです。
仏道を進む皆様はことさらに凄い。不完全な自身を抹殺対象ではなく研鑽の相手として受け入れた上、他人に寄り添って共に戦っています。自分を殺そうとした私と違い誰も殺そうとしない。
世界一優しい戦士だったのです。
私は戦い方を間違えていました。今やるべきことは死を恐れて理想から遠ざかる自身を受け入れ、研鑽し続けることです。
前置きが長くなり申し訳ありません。
私は皆さんのように、万象と調和する戦い方をしたいです。
世界一優しい戦い方の心得を教えて下さい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
出会い、そして歩み出す
トライアル&エラー!実践あるのみです。
あなたは既に自らの思索・求道の中でヘラクレイトスの哲学に行きついたのですね。そしてそれを実践するにあたっての心得は
>対立概念が居場所を取り合って争ううちに譲歩の仕方を学び、釣り合いを取るというあり方
というように自ら確認できているでしょう。
人が人である限り煩悩の身ですから迷います。しかしこうして教えがあなたに気づきをもたらしたのでしょう。私たちが仏教を指針とするように、あなたも哲学や仏教などの教えに学び、煩悩の身を生きていけるのではないでしょうか。自分が確かな者になろうとしなくていいのです。確かな教えに出会って歩んでいきましょう。確かな教えは確かでない自己の姿を照らし出してくれます。
世界一優しい戦い方は他者との間だけでなく自己の中においてもそうでしょう。あなたが気に入らないあなたとどう調和していくか。日々の生活の中で確かめて行きましょう。
質問者からのお礼
返信ありがとうございます。
実は、人は皆戦士であるという発想を相談のコメントにしたためた時、余りにも突飛な内容で忌避されるのではないか?と怖気付いていました。
しかし、煙たがるどころか返信の中でこの考え方を「思索・求道」と形容していただいたことではっとさせられました。
私は戦い方を模索し、学び続けていたと。
これまで、ハスノハで沢山の方々にお世話になりました。特に、今回を含め幾たびもご縁を頂き、難しい質問に返信していただいた吉武様にはことに感謝しております。
ようやく、ようやく私の心に晴れ模様が見え始めてきました。これが、人生最大にして最後の戦いになります。
これまでのハスノハの皆様のご縁に今一度感謝すると共に、皆様のご武運をお祈りしております。