大学の編入について、行動できないです
大学二年生のものです。
私は大学受験に失敗し、行くつもりもなかった滑り止めの私立大学に通っています。
悔しくて、ちゃんと頑張れなかった自分をものすごく嫌悪しています。
もう一度頑張ってみようとおもい、3年次編入を考えました。
しかし、怠け者のため、なかなか本腰を入れて勉強することが出来ず、だらだらとこの時期まで来てしまいました。
編入することができれば、今いる大学でできない分野も学べるし、編入したい気持ちは大きいです。
また、親は言ってきませんが、私が私立にに行ってしまったことにより、家計がきつくなってしまっているようです。
ですから、お金の為にも、なんとか国立大学に編入したいのですが、ちゃんと勉強しなきゃ、となる日と、もうどうでもいいやとなる日が交互に来る感じで、きっとどうせ受けても受からないだろうなとおもいます。
もう、出願が迫ってきてしまっています。ダメ元で受けるかまよっています。
本当だったら、もっとがむしゃらに頑張らなきゃいけなかったのに、なんでこんなに自分はダメな人間なんだろう、と涙が出てきてしまいます。家族にも、私なんかのために無駄金を使わせてしまって本当に申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、行動できない自分が最悪です。
もうどうしたらいいかわからないです。
ぐちゃぐちゃな文でごめんなさい。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しっかりと「妄想」してみませんか。
お気持ちがよくわかります。頑張りたいのに、頑張るべきときに、頑張れない…。
まんま、私ですね…ホント共感致します。
正直申させて頂くと、今回3年次への編入試験を受けても良い結果は得られないように思います。また、逆に今のあなたが合格したとして、合格できた大学で本気で学ぶことが出来ますか。何だ、この程度の勉強で入れる大学か…と思ってかえって不満が募りませんか。
「今いる大学でできない分野も学べる」とありますが、あなたに具体的に学びたい分野はあるのでしょうか。そしてその分野を学んでから、将来はどういった進路に進みたいのでしょうか。思い描く御自身の将来はあるのでしょうか。
「行くつもりもなかった滑り止めの私立大学」に現在在籍されているのは事実です。でもそれを否定的に受け止め続けるならば、結局あなた御自身があなたの人格を否定することになります。
仏教とは自己受容の教えです。自己肯定でも否定でもない…まず現実の自分を受け入れることを説くのです。事実を事実として受け入れることから始めるのです。
そしてそのことが出来たとき、そこから本当の「自分の人生」が始まるのです。…親の希望や世間体でなく、あなた自身の人生が…。
まず、あなたはこれから何をしたいのかを考えて下さい。考え抜いて下さい。
そして、目標が定まったなら、その目標に邁進しましょう。
世の中にはいろいろな女性がいらっしゃいます。例えば、本日も「亡くなった旦那様との約束で、何人ものお子さんを育てながら、司法試験に合格し、弁護士になった」方が紹介されていました。以前「宝塚歌劇団員から一念発起して医学部に入学して医者になった」お方も記事で拝見しました。
スゴイお方ばかり紹介しましたが、皆あなたと同じ人間です。
「頑張りたいのに、頑張るべきときに、頑張れない」あなたが「頑張ることが出来るようになる」ということが十分に起きるのです。人間ですから…。
その為に大切なのはモチベーションでしょう…動機付けです。
さあ、なりたいあなたを「妄想」なさって下さい。
「妄想」を現実にすることが出来るのは、唯一「あなた御自身」です。
まず御自身のやりたいことをしっかりと見つめ直して下さいませ…そんなあなたを仏様が応援し、支えて下さいます。