離婚による第二子中期中絶
はじめまして。カテゴリー違いだったらごめんなさい。
現在1年の不妊治療を経て妊娠5ヵ月で第二子を妊娠していますが来週中期中絶をすることになりました。
理由は性格の不一致による離婚で1人で仕事をしながら2人の子どもを育てられないと判断したからです。
最初は離婚しても出産する予定でした。しかし、シングルになりフルタイムで仕事をし小さな赤ちゃんと5歳の息子を今以上に厳しい状態で実母や息子に協力や我慢をさせながら私の産みたい気持ちだけで出産してもいいのだろうかと思い、実母と相談し今目の前にいる息子を大切に育てようという結論になりました。
旦那も1人じゃあ無理だと反対。出産まで待ってくれないかとお願いしたが拒否。出産して育てられないなら息子はこっちで育てると言われました。
それは嫌だと拒否しました。しかし、私はその時点で赤ちゃんの命より息子との生活を選んでしまった。未だに産んであげたいと思います。しかし、自分、息子、家族を考えるとあまりにも厳しくこれしかなかったと思うしかありません。せめて火葬まで出来ることは何でもしたいと思い色々調べましたがお腹の中で生きてる赤ちゃんを自分の都合で中絶することに決断しては悩みの毎日です。
明日夫婦で息子に離婚と中絶の話もしなければなりません。
息子は別居にも気づかずパパや赤ちゃんの話をしますが、赤ちゃんの話は今の私には後悔と決断の申し訳なさで受け止めきれていないと思います。
息子にはさみしい思いをさせることパパが一緒にいられなくなったこと申し訳ないと思いながら旦那には何故自分が子どもたちの為に何が出来るかと考える余裕がないのかと思ってしまいます。もちろん離婚を切り出されているので私にも悪いところがあるのはわかりますが、直すと言っても頑なで無理の一点張りでした。そもそもこんなタイミングの離婚で何も譲歩せず、残り少ない息子との時間も大切にせず一緒にいたくないからと実家に帰るのも理解出来ません。
それでも子どもたちのことは一緒に考えてほしいと思いますが旦那は違うようで足並みがそろいません。もう旦那に期待もしたくありませんが、中絶してしまった赤ちゃんのことも会わせるべきか一緒に供養してあげた方がいいのか悩んでます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
すごくキツイこと言いますね
離婚するから。夫の理解が得られないから。経済的にキツイから。息子1人を大事に育てたいから。周りに迷惑かけるから。
つらい不妊治療までしたのに、公的機関への相談も無しに命を奪われそうな赤ちゃんが可愛そうでなりません。
”私の心が晴れることよりも赤ちゃんが新しく生まれ変われるように新しい人生を歩めるように願うのもいけないのでしょうか”
と、言われていますね
はっきり言いましょう。このままでは、産んでも産まなくてもあなたの心が晴れる事は無い。
あなた自身が変わらない限り、一生このままです。そして中絶という事は胎児の人生を奪う事です。中絶するけど、生まれ変わって新しい人生を願うって、来週赤ちゃんの人生を奪う予約をしといてその開き直りは何ですか?
手術は来週。明日は家族会議。
文中にある、
「未だに産んであげたいと思う 心」
中絶理由はたくさんあるけど、産んであげたい理由の方が少ない。 産んであげたい理由は少ないけれど大きくて、大きすぎて心を押さえつけるから悩む毎日なのでしょう?
産んであげたい心は あなたの生まれ持った良心です。仏の心です。
私は、あなたの心の強さに賭けたい。
新しい人生を願うなら乳児院という施設もあります。調べて下さい。
産んで下さい。
離婚・・・考えた末の結論でしょう。止むを得ません。
しかし、お腹の子供は❝仏様からの授かりものです❞。まして、お兄ちゃん(息子さん)が楽しみにしているとの事・・・。息子さんのためにも、産むべきです。
旦那さんには、キチンと「養育費」を出すように要求し、その上で、別れればいいでしょう。場合によっては、家庭裁判所に調停をお願いして下さい。
シングルマザーとなる覚悟があるのなら、一人であろうが、二人であろうが、育てることはできます。行政や子育て支援をしているNPO法人などもあります。一時的に生活保護、という方法もあります。
仏教・・・本来、供養とは「母子の病気等」で、産んであげたかったのに産めなかった、もしくは流産・死産の時、親がするものです。親の都合(失礼ですが…)で、産めなかった子に「供養」などはできません。中絶すれば、一生後悔するはずです。いくら「供養」しても、心が晴れるはずはないと思います。少なくとも、妊娠した時は「愛し合って」いたはずです・・・。そのことをよくお考え下さい。合掌
【返信】
そうですか・・・。決心は変わりませんでしたか・・・😢。
済んでしまった以上、もうどうにもなりません。ただ、貴女のお心が、深く傷ついていないか・・・それだけが心配です。
「供養」・・・実は、赤ちゃんのためだけでなく、貴女も、仏様から「供養(ご心配)」されているのです。貴女が、今後力強く生き抜いてくれることを願っている、という事です。その仏様のところへ、赤ちゃんも「生まれて」います。そして、いつも貴女や「お兄ちゃん」の事を、見守ってくれています。
一日一日が無事に過ぎれば「あの子が守ってくれたんや」&「生んで上げられなくってごめんね」と❝慚愧心(ざんきしん)❞をもって生き抜いて下さい。それが、何よりの「供養」です・・・💛。貴女が、一所懸命生きていっておれば、キット許して下さいます。合掌 南旡阿弥陀仏
質問者からのお礼
大塚さん回答ありがとうございます。
離婚も中絶も変えることはやはり出来ませんでした。
出産して後悔はしませんが自分が頑張ればいいだけの状態に出来ないことこれ以上周りの協力をしてもらって自分の責任や義務を分散させるのは違うと思ってしまいました。それでもやはり供養は出来ないんでしょうか。私の心が晴れることよりも赤ちゃんが新しく生まれ変われるように新しい人生を歩めるように願うのもいけないのでしょうか。
香泉さん回答ありがとうございます。
また厳しいお言葉と言った前提でお話していただき申し訳ありません。
もちろん里子や乳児院も調べました。それで命が守られるならと。本当に決断しきれなくてぶれてばかりで今日も話していないのに息子からパパに会いたいと泣いて言われてしまいこれからこの子どもたちが辛い思いをすると思うとどれが正しいのか他に道はないか考えるにも新しい生活への手続きや話し合いと息子のケアで低一杯です。目の前の息子を大切にしていけるのかも不安なのに里子に出すまで赤ちゃんを守り生活を守る自信がありません。自分が育てられないのに無責任に妊娠を継続し、出産することも私が耐えられないのかもしれません。