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楽に生きるということ

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有り難し有り難し 8

楽に生きると言うのはどういうことなのでしょうか?
人間どうしても困難に立ち向かわなければなりません。

毎日がそんな状態では、楽に生きたいと思っても「なんて難しいことなんだろう」と思ってしまうのです。

楽に生きる考え方(?)、アドバイスよろしくお願いします。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

究極的な楽へと向けて

りの様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

楽に生きたいと思っても「なんて難しいことなんだろう」・・

確かにその通りにて、なかなか楽に生きるということは難しくあります・・

「一切皆苦」(一切行苦)は、仏法の四法印の一つとしてございますが、「苦」とは、もちろん精神的・肉体的な色々な苦になりますが、その根本には、何も思うようにならないという「不満」(八苦の一つの求不得苦)にあると考えることができます。

その「不満」の原因は何かと申しますと、無明(根本的な無知)や煩悩、執着によるものとなります。

上記に挙げました内の「無明」が、煩悩や執着の親分にもなるのですが、この「無明」を対治していくことにより、モノ・コトの真理を見極めるための智慧(仏教的な賢さ)を付けていくことによって、その「不満」、そして「苦」にも適切に対処していくことができるようになって参ります。

そして、世間的な楽(世間的な満足事や享楽事、世間的な幸せなど)は、究極的な楽と仏教では考えません。仏教における究極的な楽とは、「悟り」・「涅槃」へと至ることと考えます。

ですので、できれば、これを機縁として、真なる楽・幸せと向けて、是非、これからもよりいっそうに仏教に興味を持って頂きまして、仏教を修習していって頂けましたら有り難くに存じます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

おきもちが子供達の笑顔になりました


川口 英俊
チベット仏教 ツォンカパ大師中観思想・後期二諦説の研究

質問者からのお礼

お礼が遅れました。
仏教にも「究極な楽」を求める考え方があったのを初めて知りました。
なかなか難しいものですね。

「今を生きる・自分の生き方」問答一覧

一生懸命

私は真面目にコツコツと仕事に取り組んできました。周りの人はバレないように手を抜いたりうまく誤魔化していますが私は性格上できません。このような私の性格から職場で孤立し、最終的には退職ということを繰り返しいます。 真面目にやっていたら誰か見てくれているとよく言われますが本当なのでしょうか。 誰かに見て欲しくて頑張っている訳ではないのですが、どこに行っても私はやって当たり前と思われます。最後に働いた職場もキツイ、仕事の負担が私だけ大きいので改善して欲しいと上司や本社の人に訴え、あなたは必要な人だから2週間待って考えるからと言われましたが、結局放置され、私は人間として扱ってもらえなかったと思い鬱が悪化して診断書を提出して辞めました。鬱が原因で両親とも不仲です。 性格を変えるのは難しいです。私はこのような性格で働けるところはあるのでしょうか? また退職した職場でされた対応がどうしても許せず、謝罪して欲しいと訴えようと労基に相談しています。この行為はお坊さんから見たら愚かな行為でしょうか? 長々と書いて申し訳ございません。 職場で受けた対応が、私は人間として認められてなかったと感じ、今とても生きることが苦しくご相談したかったです。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 21
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人としての正しい生き方

はじめまして いつもお坊さんのような考え方。心掛けるようにしています。 そこで生物は生まれ持って平等ではないこと。広い心を持つ(客観的に見る)ようなことを学びました。 しかし時には自分勝手なことをしている人をみかけます。 人のものを傷つけたり大切なことを貶したり 自分は感謝の心が足りない人たちなのかなとか思います。 よく話すのがあまり良くないかも知れないのですが家畜の事です。 家畜は人に育てられて食べられるために殺されますよね?自分は命をいただくのでいただきますを大事にします。 しかし自分勝手な人はいただきますを心から言っているのか?そんなことを考えます。 そこでお坊さんにききたいのは正しく生きるってのはどのようなことなのか?ってことです。 自分らしく。周りの事を大事に。感謝の心。 実は簡単そうで難しいようなことを大事に大事にすることを自分は心掛けています。 しかしそれが正しいことか。よくわかりません。 悪い。正しい。これは自分がどう捉えるかで変わると思います。 たとえばまた動物の話しになるのですが狩りをして他の動物を食べた。これは食べられた側からしたら悪になります。しかし食べる側。狩りをした動物にお腹がすいた子どもがいたら?食べる側からしたら正しいことになると思います。 なので自分で悪い正しい。決めることはわかっていますがお坊さんの正しい生き方。正しいと言いますが人に敬われるような生き方。そして自分は正しいのか。 そのようなことをお坊さんに聞きたいです。 長くなってしまいましたがどうか意見を聞かせてください。お願いします。

有り難し有り難し 25
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言い負かしたくて仕方がない

私はとにかく勝ち気な性格で、明らかに相手の言動が間違っていると思ったら相手が降参するまで徹底的に議論してしまいます。 ただし途中で自分が間違えていると気づいた時は素直に負けを認めますし、常に客観的に自分を見つめた上で理性的に議論をしているつもりです。 仕事上間違えた考えのまま進めてもらうと困る時など、確実に議論が必要になる時もあります。 しかし家族や恋人との喧嘩など、最終目標を「どちらが正しいか決めること」ではなく「これから仲良くやっていくこと」とする時でも、どうしても議論を仕掛けることをやめられません。 とにかく「言い負かしてやりたい」という気持ちが捨てられないのです。 相手に「私が正しい」ということを認めさせたくてたまらないのです。 おそらく学生時代ディベートをする機会が多かったことも一因だと思います。勝つことを目標にするクセが抜けないのです。 また、色々な事に敏感すぎるのだとも思います。些細なことでも目ざとく見つけてひっぱり出してすぐに争点にしてしまうのです。 「争い事は嫌な感情しか産まないし、とりあえずこの場は丸く収めましょう」という考え方は十分理解できますし、大人な対応ができてうらやましいなと思います。そうできたらいいなと心の底から思っているのですが、どうしてもモヤモヤが解消されないのが嫌なのです。 どうすればこの勝ち気な性格を和らげ、穏やかな人間関係を築くことができるのでしょうか? ご回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
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善き心を保つには?

こんばんは。私の悩みを聞いて頂ければと思います。 日々の生活の中で、自分の欲望や煩悩に知らず知らずのうちに支配されていて、善き行いをすることができません。 例を出すと、路上を歩いている時に、目の前でコーヒーをこぼし手などが汚れている方がいるのに人目が気になって、そのまま通り過ぎてしまう。 人に感謝や想いを伝えたい時に、自分をさらけ出すのが恥ずかしくなって、正直な気持ちを伝えることができない。 また、過ぎ去った出来事に対しても「ああ、あの時こうすればあの人はもっと幸せだったのでは」などとその時点では気付かずに去ったことをクヨクヨ考えてしまいます。 私は「自分の想い」から生まれる行動が「目の前の人」を幸せにして、「世界を前に進める」。そして、それが違った形でも自分に返ってくることがあれば幸せだと考えてます。 小さな行動からなのでしょうが、普段の自分にその意識が浸透してきません。これは、腹の底ではそのように考えてないのではないかとも思ってしまいます。 「羞恥心を抑える術」、「気持ちを察するアンテナの感度を高める術」の心構えや考え方等、そしてそれを保つ方法が有れば御教示お願いします。

有り難し有り難し 5
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今を生きることができない

久しぶりにhasunohaに来ました。自分の質問を遡ってみると2年前から同じようなことで悩んでいるのだなあーと思いました。いつも丁寧なお返事をありがとうございます。 改めて自分の悩みを読み返してみて、今ではこういう風に考えられてるなあと、自分のことながら成長しているなあと思います。 今までは"家族がバラバラになるかもしれない。私がなんとかしなきゃ。みんなを助けなきゃ。"と思いすぎていて、自分自身が辛くなりすぎていましたが、今は"家族といえど別の人間なのだから色んな考えがある。別に連絡を取り合わないわけではないけどいい距離感でいよう"と思えるようになりました。 弟というと相変わらず良い時はよくて悪い時は悪くて、なんだかなあという感じみたいですが、弟とも距離を保っている感じです。 でもそうやっていいときはいい悪い時は悪いのずっと繰り返しなので、状態が良い時でも"あーまた悪くなるんだろうなあ"と思って必要以上に先のことを考えてビクビクしてしまいます。 また日常のありとあらゆる場面で昔の辛かったことを思い出し、一種のフラッシュバックのような状態に陥りすごく辛くなります。 そういうことが続いてつくづく今を生きることが出来てないなあと思うのです。 将来への不安と過去の呪縛にとらわれて、ビクビクビクビクしながら毎日を過ごしています。 今考えてもどうにもならないことを考えてもどうしようもないことはわかっていますが、どうしても考えてしまいます。 考え方の癖なのでしょうが、なかなか直らなくて、これから先も常にありとあらゆることに囚われながら何時でも不安に駆られる時間を過ごすのかと思うと、さらに将来が辛くなります。 どうしていけば良いのでしょう。 拙い文章ですみませんが、お返事いただけたら幸いです。

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どうしたらいいですか。

私は、なるべくというより極力虫を逃がしたり助けたりします。 ですが・・、逆に死なせてしまう事も多々あり、自分が助けようとして逆に裏目に出てしまう事もあります。 それは、人でも一緒です。自分の自己満足なのかそれとも自分の性格なのか昔から人には優しくしています。ですが逆にそれが裏目に出て辛い事になったり、相手を傷つけてしまう事もあります。 話は戻りますが、虫さんは苦手です。苦手だけどでも自分のお節介が虫さんたちの為になっているかどうかは分かりません。 不意の事故で死なせてしまう事もあります。殺意は全くありません。 ただ、自分のお節介な優しさで勝手にやっているだけですが、 別の質問サイト等で助けてやりたいですと質問をいうと、答えとして、自然の摂理だから手を出すのはよくないと言われます。 ですが、困っている人がいたら手を貸すのは、当たり前とまでは言いませんが、放置するのはよくないとは思っています。 ただ、自分のこの行いが行き過ぎて、ストレスになっています。 なので、自分はどうしたらいいですか・・、異常に敏感になっているのも 分かっています。 お坊さん的には私のやってる事は偽善ですか、それともいい事をしていると思いますか? 追記:虫さんが死んでいた時に土に埋めたりする行為は罰当たりですか?(これも質問サイトで言われたことです) 虫さんの事で近所の方にご迷惑をかけたこともあります。やりすぎにもほどほどにしたいとは思いますが、辞められません・・。

有り難し有り難し 6
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