なぜこうも違うのでしょうか
先程、実家の両親と電話しました。
私の従兄弟の子どもが地元の最も優秀な高校に入学したそうです。
親戚の伯父さんがウチの両親に自慢の孫だとはしゃいで連絡してきたようです。それを両親から聞いた私は、
「すごいじゃん。良かったね。」と言ってはみたものの、正直いい気分ではないです。
比べるべきではない事は分かっているのですが、従兄弟と私は同い年で同じ(頭悪い)高校に通いましたが、従兄弟は親のコネで大手交通機関に勤務し、私より全然早く結婚し子どもも生まれ…
私は意地で短大に行って専門職についたけど、あまりの過酷さと体調を崩し退職。その後地元ラーメン店の工場で細々勤務。
職場で色々トラブルに巻き込まれつつも何とか切り抜けて、30過ぎてやっと結婚出来て子どもにも恵まれたけど、結局マタハラに遭い退職。
夫の転勤で他県へ移動し子育ての辛さから心を病み、そして最近、小学生の長男の発達障害が判明…
比べるべきではないのは分かっているのですが…。なんでこうも違うのかな、と思ってしまいます。
正直、従兄弟とは会いたくないです。会わないと思いますが。
私からしてみれば要領よく生きて恵まれている。それが悪い訳ではないのだとは思うけど、なんか、頑張ってきた私は何なんだ!という気持ちになって報われないです。
私の心を救って欲しいです。
この報われない思いに長年苛まれています。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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根本的な見直し
こんにちは、初めまして。
お悩みのことでしょう。
嫉妬というのは、二つの意味が込められている言葉だそうです。
一つは、比べた相手を憎み、非難する方向性。
何であちらの芝生はあんなに青いのか、それは何かズルいことや特別なことのお陰に違いない、と思う。相手を攻撃する方向にエネルギーを使う向き。
もう一つは、相手と比べて卑下する方向性。
隣の蔵に比べて、なんと我が蔵のみすぼらしいことか、と思う。
自分を攻撃する方向へエネルギーを使う向き。
あなたは正にこの嫉妬の渦中にいるのでしょう。
この嫉妬の心は、簡単に無くすことはできません。
何故なら、あなたの心の中心にある価値は、学歴であり、「大手」への就職であり、「要領」の良さであるからです。つまり、いわゆる世間でのハイスペック、上手い世渡りをして財力、社会的地位、名誉を得ている、これがあなたの根強い判断基準だからです。
あなたは、「報われない」から「苛まれて」いるというよりも、自分の判断基準に基づいた心から湧く嫉妬に「苛まれて」いるように私には見えます。
これを方向転換するためには、判断基準、より所を根本的に見直すことが最善です。
趣味なり、地域活動なり、あなたご自身でそれを見つけるもよし。
或いは、仏教ではそれぞれの宗派ごとに拠り所にする仏様がいらっしゃいます。
いずれを選ぶか、別の選択か、あなたの宜しいようになさってください。
質問者からのお礼
アドバイス頂きありがとうございます。
嫉妬の念は無くすことは難しいようですね。本当は従兄弟のことを避けたいのではなく、自分の事を認めたいのです。