ネット上の友達
一緒にオンラインゲームをする7人ほどのグループがいました
そこにいるリーダーとメンバーの1人が喧嘩をしメンバーの1人がグループを脱退しました
私はどちらとも仲良くしたいので仲良くしていたのですがリーダーとリーダーの友達からいきなりTwitterをブロックされました
リーダーと仲の良い友達から抜けたメンバーをフォローしているなら友達ではいられない
と言われてしまいました
どちらとも毎日通話をしながら楽しくゲームをしていたのでどちらを選ぶとは出来なかったのですがブロックされたのが怖過ぎて元いたメンバーに事情を説明してTwitterのフォローを外してしまいました
それからリーダーとその友達にはブロックを解除されましたが元メンバーとの仲がギクシャクしてしまいました
私は全員と仲良くしたいのですが全て手に入れるのは難しいのでしょうか?
そして今辛いのでオンラインゲームをやめようか悩んでいます
現実の人間関係とは違うと分かっていますがネットの世界の友達でも毎日通話したりしていて本当の友達のようで苦しいです
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
同じ境遇なら、釈迦も悩むのでは?
釈迦が教えを説いたのは、約2500年前であると言われています。
当時はインターネットはもちろん、電気だってありませんでした。
今のにゃんこさんと同じ境遇に置かれたなら、釈迦といえど悩むことだろうと思います。
日常的に顔を合わせる友達と、ネット上でやりとりをする友達。
どちらも友達に変わりありませんし、優劣をつけることはできません。
ひと昔前なら五感で捉える日常生活を重視すべきと安易に言われたことでしょうが、今日においてはそうも言ってられないほどに、進歩した技術があって当然の生活があります。
その意味では、もう世界は事実上、拡張されたのかもしれません。
おそらく、ここから逆行することはないでしょう。
「フォロー申請」、「許可」、「ブロック」
「友達になってくれますか?」、「こちらこそ」、「もう絶交だ!」
面と向かって対話することと、文字やツールを通して対話することは大きく違いますが、心を通わせるという意味で歩み寄る手段としては共通しています。
サービスのガイドラインに乗っていると、目の前の選択肢に捉われやすいものです。そうすると、いつの間にやら「YES」or「NO」の二者択一しかないように思ってしまうものです。しかし本当は、「問いに疑問を投げかける」という選択もできます。
今回にゃんこさんが選んだのはまさにその第3の選択です。
関係はまだギクシャクしているかもしれませんが、みんなとの関係が絶たれるという最悪の結末を避け、事態を好転させる事ができました。
事態修復の糸口は、対話にあると思います。
五感で感じられなくても、対話に血を通わすことはできるはずです。
人の心を動かすのは、やはり人の心です。
これは、どんなに技術が進歩しようと変わらない真実であると考えます。
葛藤に悩み苦しむご心情、お察しいたします。
にゃんこさんの温かな想いが友達に通じ、事態がより良い方向へ進むようご祈念申し上げます。